三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

オオカマキリと少年IV—脱皮

7月の終わり、オオカマキリは6回目の脱皮をした。脱皮をしたばかりのカマキリにはツヤがあり、翡翠のような美しい緑色をしていた。横には、半透明の抜け殻がぶら下がっている。腹の膨れ具合から、どうやらメスのようだった。少年は安堵した。というのも、次の代を残せるかもしれないという可能性が残されたためである。少年は、そんなカマキリにある変化が起きていることに気がついた。その胸部と腹部の間に、小さな羽が付いていたのだ。これがやがて腹部全体を覆うほどの大きな羽となり成虫になる——。図鑑でその様子を何度も見たことがあったが、実際に見たことはもちろんなかった。

 

カマキリの食べるエサは、さらに大きいものになっていった。ついには自分の体長と同じくらい大きさのアゲハチョウまで食べるようになった。アゲハチョウを水槽の中に入れると、カマキリはすぐさまその羽の部分を前脚で捕まえた。しかしながら、羽の先の方を捕まえても、羽ばたく力に押されてカマキリはうまく捕食することができない。するとカマキリは、羽の付け根の方に前脚をスライドさせていき、その動きを封じていく。それと同時進行で、その頭の方を食べ始める。アゲハチョウの羽ばたく力は次第に弱まっていき、ついには羽ばたくのをやめてしまった。カマキリは、羽の付け根を器用に外し、羽の部分をポイッと捨てて胸と腹の部分を食べ進めていく。アゲハチョウの黒い体からは、緑色のゲル状のものが露わになっていた。カマキリは、複数の牙と、舌のような触覚を器用に使いながら美味しそうにそれを貪っていく。アゲハチョウの鱗粉で粉まみれになったカマキリの表情は、実に恍惚そうに見えた。少年はくる日もくる日も、エサ取りに邁進しては、その食べる様子をじっと観察するのであった。

 

そしてついに、成虫になる日が訪れた。その日のカマキリは、いつもと少し様子が違っていた。いつもであれば、水槽を軽く叩くとそれに反応してこちらの方に向かってくるのだが、この日は水槽の蓋のところでじっとしている。少年は直感的に、今日が成虫になる日であることを悟った。午後の2時を回った頃であっただろうか、昼食を食べたのち風除室の方に向かうと、オオカマキリは最後の脱皮をし始めていた。カマキリは、中脚と後脚の4本で体を支えながら逆さまにぶら下がっている。そして、首のようになっている胸の部分が徐々に割れ始め、新しい体が現れてくる真っ最中であった。新しい体は、蛍光ペンで塗られたような淡い茶色で、ビニールのような光沢があった。胸の付け根から伸びる羽は、体よりもさらに薄い半透明で、くしゃくしゃに畳まれている。しばらくすると、新しい体は完全に外に出て、ゆっくりと羽に体液を送り始める。すると羽は生気を帯びはじめ、体の一部となっていく——。

 

脱皮開始から2時間ほど経過すると、あの、図鑑で見慣れたオオカマキリの姿が水槽の中に現れた。全身は薄い茶色で、光沢は徐々に弱まり枯れ葉のような風合いを醸し出している。羽の淵にあたる部分だけは唯一、鮮やかな黄緑色をしていて、そのコントラストがなんとも美しい。その姿をじっと見つめていると、気がついたのか首を動かして少年の方に顔を向けた。カマキリの目の中には小さくて黒い点のようなものがあって、少年が見る角度を変える度に、錯視のペーパー・ドラゴンみたいにその黒い点が追いかけてくる。水槽から出して、手を差し出すと、ひょいと少年の手に登ってきた。草むらで捕まえてきた野生のものと違って、少年が育てたカマキリはいたって穏便で、少年に噛み付いてくることはなかった——。"虫には感情がない"、という話を少年は聞いたことがあった。その目は獲物を狙うためのものに過ぎず、人間を認識することはできない。生き物というのは無駄がないようにできていて、必要のないことはしないようになっている、と。しかしながら少年は、カマキリを飼っていくうちに、その話に懐疑的になっていくのだった。