三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

ボルダリングにハマった日

ある日の早朝、突然友人から電話がかかってきた。
「ボルダリングをしに行こう——」
う、うーん……ボ、ボルダリング…?眠い目をこすりながら、ボルダリングについての勝手なイメージを脳内に浮かべてみる——。命綱を腰につけて、思いっきり反った壁を、色とりどりの突起物を利用しながらただただ登っていく。やっている人の体格好はみんなシュッとしていて、何よりも難しそう。公園とか校庭にある、"うんてい"だとか、懸垂すらままならない非力な筆者に果たしてできるのだろうか。僕じゃきっと出来ないな、出来ないな。ボルダリングをすることは出来ないな、出来ないな——。しかしながら同時に、「やらないで後悔するよりは、やって後悔した方がマシだ」というあまりにもベタすぎる慣用句も浮かんできた。いやいや、たまにはベタだっていいじゃないか。ルール32、やってから後悔しろ。"現代社会で生き残るための32のルール"、記念すべき32番目はこれにしよう。しばらくの自問自答の果てに、
「よし、行こう」
と友人に伝えた。

 

とは言ってみたものの、格好がわからない。とりあえずジャージと、下にはトレッキングパンツがあったので、それを履くことにした。ボルダリング会場は、越谷某所。駅から歩いて数分のところにあった。人通りはほとんどないと言っていいくらいの閑散とした住宅街の一角に突然、それっぽい建物が現れた。ボルダリングといえば、もっとこうスタイリッシュなものを想像していたが、目の前にあったのは柔道場のような泥臭い雰囲気だった(中はとても綺麗)。まるで道場破りをするかのように、意気揚々と門を叩いた。受付には60歳すぎくらいの女性が1人ポツンといて、そこで初回の手続きをした。その女性は、
「着替えが終わったら、また受付の前に集まってください」
と言った。誰かインストラクター的な人がいるのだろうか。着替え終わって、受付前に戻るとまた先ほどの女性が待っていた。こちらへどうぞ、といってシューズがずらーっと並んだ場所へ連れられた。ボルダリング用のシューズは、先が鷲の鼻のようになっていて、何よりもキツい。ただ、このおかげで、突起物をガッチリと掴むことができるのだという。この感覚、何かに似ている。そうだ、初めてスキー靴を履いたときの感覚だ。普通の場所では違和感があって、非日常感がある。特定の場所だけに特化した道具。その違和感にヒーヒー言う暇もなく、ボルダリングの会場へと向かう。

 

入り口にはボードがあって、階級が色で分けられていた。8級から1級まで順に下がっていき、続いて初段、2段と上がっていくようだ。両サイドと奥の壁には色とりどり、様々な形の突起物が飛び出していた。ちなみにこの突起物は、ホールドという。我々はまず、1番難易度の低い8級に挑戦した。課題のスタート地点となるホールドを探す。そこには両手、あるいは左手、右手と書かれていて、その通りに手を置かなければならない。そして、それに対応した色のホールド(その下に貼られているシールの色)を登っていく。8級と7級は、足の位置はどこに置いても良くて、手の位置だけが制限される。6級からは、手だけでなく足の制限も入り、当然ながら難易度は上がる。一通りルールの説明が終わると、なんと先ほど受付にいた女性が、我々にお手本を見せてくれた。するすると、そして滑らかに登っていく。すごい、今までのはフリだったのかと思わせるくらいのギャップに驚かされた。『スター・ウォーズ』で普段杖をついてヨボヨボなヨーダが、急にすばしっこい動きをしたときの感動に近かった。

 

続いて、我々も挑戦する。8、7級はなんとかの登れはするものの、どうしても腕の力だけで登ってしまう。何と言っても足の位置が難しかった。ホールドが斜めに続いていると、体の方もそれに釣られて斜めになってしまうのだ。6級になると、その大切さを見にしみて感じる。それを立て直しながら、体の4点でバランスよく登る方法を探っていく。当然、むやみやたらに登って行っても、ホールドが見えなかったりする箇所があるので、事前にある程度のルートを覚えておくことも必要になってくる。そして、そのルートというのも、身長や体格によって、人それぞれに異なる。とにかく、ルールを守りさえしていれば、どのルートでも良いのだ。体の勢いをうまく利用することも大切だった。そう、勢い。これが最終的なキーワードとなっていく——。

 

ふと、時計を見てみる。ボルダリング初体験ということで、2時間体験コースを申し込んでいたが、まさか。まだ30分しか経っていないではないか。夢中になっていると、時間があっという間に過ぎるというが、ここは違った。逆浦島太郎現象である。自分の中で、受付の人からインストラクターの人へと昇格した女性は休み休みやってくださいねと言った。確かに、周りを見ると皆夢中になってはいるが、かなり休みながらやっている。自分の腕を触ってみる。既に、痛い。夢中になりすぎて、消耗するのはこの世界では禁物なのである。

 

休憩している頃合いで、子どもたちがボルダリングの練習にやってきたらしかった。彼らは、我々が悪戦苦闘している6級も難なく、するすると登っていく。どうやら順に階級を上がりながら、課題に挑戦しているらしい。体格の良い大人とは違って、全身を使ったダイナミックな登り方で、見ていて非常に参考になった。参考になったのは動きだけではない。彼らは、他の子が登っているとき、"ガンバ"といい、無事登頂に成功すると"ナイス"という掛け声をする。どうやらこれはボルダリング業界では共通の掛け声らしい。野球でいうと、コーチャーの"リーリーリー"みたいなものか(違うか……)

 

残り30分、腕はもちろんであるが指がとにかく疲れていた。友人共々、6級でどうしても登れない箇所があった。悔しい、ここだけは今日、絶対登ってやる——。この闘争心を持った男、先ほどまでベッドであーだこーだと自問自答していた人間と同じには到底思えなかった。残り10分、これで最後だと言ってお互いに、動画を撮ることにした。現代っ子は、動画の前でこそ真価が問われる。力を振り絞って、登る。動画を撮られている、成功させたい。そして、時間もそれほど無い。とにかく勢いで、恐怖心を捨てる、自然、宇宙と調和する。フォースと共にあらんことを——。頂上のホールドに到達した。窮地に追い込まれたときの人間の強さは計り知れない。全く歯の立っていなかった友人も、カメラを前にして見事に登り切ったのだった。達成感に満ち溢れた。

 

側から見たら、ぎこちない動きで、頂上を目指しているように見えるかもしれない。自分が登っている様子を動画で確認したら、やっぱりそうだった。しかしながら、当の本人は必死なのである。これはただ、壁を登るだけのスポーツではなかった。体重移動、ルート、腕力、そして集中力… 全てが一つになって、初めて達成できる。なんて奥ゆかしいスポーツなんだろう。帰り道、越谷二郎をすすりながらそんなことを思ってしまった、しまった、しまった。

 

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