三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

世の中に溢れる音楽

 世の中は音楽で溢れている。帰り道、パチンコ屋からはドアが開閉する度に色んな音楽が混ざったのが漏れ聴こえてくる。途中立ち寄った店でも陽気なBGMが流れている。店を出ると、今度は防災無線から児童の帰宅を促すチャイムが流れ、「今日の思い出を大切に」だとか何とか言っている―。

 それもこれも元を辿れば、音楽を記録し、スピーカーから音を出すものが発明されていなければ元も子もない話である。"いつだって忘れない 偉い人"ことエジソンの蓄音機の発明の功績は本当に大きい。彼の発明から100年以上が経ち、再生機器は蓄音機からBluetoothスピーカーに、記録媒体はレコードからデジタルデータに変わった。また、最近ではこれまでに記録されてきた音楽は今やストリーミングサービスなるものでアーカイブス化され、簡単に聴くことができるようになった。

 2018年、なんとも便利な世の中になった。ただ、便利にはなったはいいが、人類そのもの自体はは何一つ進化を遂げていない。時間をゆがめる超能力を得たわけでもなく、平均寿命こそ延びたかもしれないが、不老不死になったわけではない。生き物である以上、さすがに限界というものがある。

 昨今のハイテクノロジーな世の中にさらされながら生きているとふと、

「この世の中にある音楽を一生のうちに全部聴くことなんてできないじゃないか」

なんてことを考えてしまう。アーカイブス化されて万の音楽が聴き放題になったがゆえに、気が付いた時間の有限性。利用し放題のデータベースを使い優越感を感じた後に突然襲ってきた虚無感のようなもの。

 いやはや、なんとも人生は短い。人間のちっぽけさを憂うと同時に、強欲な人間による更なる利便性の追及がもくろまれる。次なる革命は一度に複数の曲を脳内で聴くことができる音楽機器の開発だろうか。何とも効率がいい、これだと何倍もの音楽を聴くことができるではないか―。これには、あの世の聖徳太子も眉間に皺を寄せ、鼻で笑っている。

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