三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

【ほぼ日刊ベースボール2】背番号の持つ意味 Part1

背番号というのは、選手を区別するために着けられたというのがその発祥とされている。少年野球とかアマチュア野球では、守備番号がそのまま背番号に用いられるケースがほとんどであるが、プロ野球の世界において、単純に守備番号でつけられるケースは稀である。そういうわけでプロ野球では背番号は様々な意味を持っているということになる。

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画像はそれぞれの守備位置の守備番号である。アマチュア野球ではおおむねこれに基づいて背番号が決められる。ちなみに少年野球までは、このポジションの慣例に加え、10番が主将の番号という習わしがある。野球スコアブックの付け方・基本【ベースボールモンスター】

 

基本的に背番号というのは、その番号が若い方が良いとされている。たとえば、ドラフト指名ではなく、入団テストを経て入団した育成選手の背番号というのは一般的に3ケタである。「育成の星」と呼ばれている巨人の山口鉄也投手は、育成選手枠で入団しながらも、その活躍が認められ、巨人における育成枠出身選手で初の勝利投手となった。山口投手はその後、球界を代表する中継ぎ投手となったが、彼の背番号の遍歴をみてみると、102(育成登録時代:2005‐2007年途中)、99(支配下登録後:2007年)、47(2008年‐)となっており、活躍に応じて背番号が若くなっていることがわかる。

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写真は山口鉄也投手。

 

背番号にはそのポジションの代名詞的な番号も存在する。たとえばキャッチャーは、「27」をつけることを目標にしている選手が多い。その系譜をたどれば、王・長嶋時代の巨人の捕手、森昌彦が背番号27を着けたのを皮切りに、ヤクルトアトムズ(現ヤクルトスワローズ)の捕手大矢明彦が着けるようになった。その流れを汲んで、古田敦也(ヤクルト)や、伊東勤(西武)、谷繁元信(横浜→中日)などの、後に名捕手と呼ばれるような選手が着けるような番号となった(谷繁は中日に移籍してから背番号を27に変更した)。もし古田や伊東が同じ背番号の先人たちのような活躍を見せていなかったら、捕手の代名詞的な背番号は別のものになっていたかもしれない。

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写真は上から古田敦也、伊東勤、谷繁元信捕手。いずれも1990‐2000年代に活躍した名捕手である。

 

何の変哲もない背番号の数字でも、着けている選手が有名になることで意味を持ち始めること場合もある。たとえば、ご存じイチローの背番号は入団以来、ヤンキース時代(31)を除いてずっと「51」である。「51」といえばイチロー、というぐらいにこの背番号は有名になってしまったが、もともとこの背番号は誰の永久欠番でも、有名選手が着けていた番号でもない。イチローはドラフトで4位入団だったから当然、若い番号をもらえるはずがなく、空いていた番号の51を選択したようである。そこには彼の尊敬する前田智徳が当時着けていた背番号51にあやかってつけたという逸話があるが、真相は良く分からない(ヤンキースでイチローがそれまでの51から31にしたのも、前田の背番号が51から31になったことに影響を受けたのではないかという噂もある)。

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写真は上からオリックス、マリナーズ、ヤンキース、マーリンズのイチロー。3枚目のヤンキースの時だけ背番号が「31」になっていることがわかる。

 

ここに書いているのはふと思いついたものだから、ほんの一部に過ぎない。背番号に関する話題というのは、他にももっとあると思う。そんなものだから気が向いたら再びこの話題について「パート2」と称して書いてみようと思う。

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