三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

昭和の男、村田兆治

元プロ野球選手の村田兆治が亡くなった。村田兆治と言えば「マサカリ投法」とよばれる、足を高く上げ右足をぐっと沈み込ませる独特なフォームで、200勝を達成した大投手である。平成生まれの筆者は、その現役時代のことは知らないが、YouTubeで投球動画なんかを観ていると、かなりの剛速球を投げていたことがわかる。あれは引退間近の映像であったと思うが、そのときの球速は148㎞という表示であった。当時のスピードガンは今のように球を投げた瞬間の初速ではなく、到達した時点の終速を計測しており、それでその球速ということは、今の計測方法だともっと速かったはずである。少なくとも150㎞以上は出ていたのではないか――なんと凄まじいのだろうか。現役時代ももちろんであるが、さらに凄まじいのは引退後、還暦を超えてからのマスターズリーグや始球式で130㎞を超える剛速球を連発していたことである。元々の体の強さもあるのかもしれないが、やはりトレーニングの賜物であり、さすがは400勝投手金田正一の愛弟子にふさわしいストイックさといったところだろうか。無論、金田正一の現役時代も、監督時代も知らないのだが……。とにかく、村田兆治には"すんごい爺さん"というイメージがあった。

 

一方で、彼にもう一つの側面を見たのは、いつかのバラエティ番組での一幕。野球論のようなものを語る番組で、スタジオ内で村田兆治が「現在の最高球速は?」などというコーナーに差し掛かり、村田は古田敦也をキャッチャーに据えて投球練習をし始めた。数球放ったのち、バットをもって打席に入ってきた司会者の中居正広に対し、
「打っていいよ」
という一言を言い放つ。彼の言いっぷりは真剣であった。思わず
「ええ?!ムリ、ムリ!」
と聞き返す中居。
「打っていいよって言ってるんだ、前に飛ばないから」
そういって強引にも中居に打たせようとする。当然ながら、撮影の機材や照明、何よりも他の出演者が多くいるスタジオで打っていいはずはなく、スタジオにはたちまちいやな空気が充満する。出演していた、山本昌が苦笑を浮かべながら、
「守ります」
などと言って、出演者座る席の前に立ってグラブを構える中、村田がキャッチャーめがけて放ると、中居はその球威に驚き身動きができなくなった。数球見送ったのち中居もまた苦笑いの表情を浮かべ、意を決したのか、機嫌を損ねないように軽くバットに当てるという場面があった。この映像を初めて観たときはというのは、先に書いたような始球式やマスターズリーグの球道者のイメージがあったため、非常に意外であった。もしも偉大なプロ野球選手ではなかったのなら――"ただただ面倒くさいジジイ"ではないか。

 

筆者は動画の中でしかその躍動する姿を観たことがないが、もう一つ、村田兆治にまつわる思い出、というほどでもないがエピソードとしては、プロ野球ゲームでの存在感である。現在、日本にプロ野球ゲームは『プロ野球スピリッツ・シリーズ』、通称プロスピと『実況パワフルプロ野球』、通称パワプロの二強であるが、筆者はそのいずれもかなりやりこんだ思い出深いゲームである。ゲーム中において、"固有フォーム"というものが存在する。プロの世界を生き抜くためには、それぞれの選手が独自に編み出した投げ方や打ち方があり、それが時に個性として見いだされ、結果としてそれが固有フォームになる。固有フォームは、一軍で活躍するような、あるいはしてきた現役選手であれば基本的に存在しているが、例外的に現役を引退した選手のものも含まれている。たとえば野手でいえば、王貞治の「一本足打法」や落合博満の「神主打法」、イチローの「振り子打法」などが有名どころであり、投手でいえば野茂英雄の「トルネード投法」や松坂大輔の豪快な「ワインドアップ投法」などが有名か。そして村田兆治の「マサカリ投法」もこの中に入っており、自分で作成するオリジナル選手の投球フォームとして採用したことが何度かあった。例によって持ち球はフォークかスプリット。間違いなくその投げ方のインパクトは一番大きかった。現実離れしたフォーム。子ども心に惹きつけられるものがあった。

 

数ある特徴的な投げ方の中でもひと際異彩を放つ「マサカリ投法」であるが、これは野球部の真似の定番でもあった。例によって筆者も、ピッチング練習をするときにその投げ方を真似してはコーチに怒られた。ちなみに打者でいえば種田仁の「ガニ股打法」、タフィ・ローズのバットを高く掲げてタイミングをとる打ち方、あとはイチローの「振り子打法」、小笠原道大の腕をまっすぐ伸ばして構える打ち方あたりが定番であった。何かを極めるには何事も真似から入るのが一番であるというが「マサカリ投法」に関しては間違いなく真似してはいけない部類の"キワモノ"であった。村田兆治、愛すべき昭和の男。こうして書いていると野球に関わっていた人間として少なからず影響はあったのだということを痛感する。2022年9月には羽田空港にて、職員に対しての暴行事件もあったが、そのイメージのまま、何とあっけない最期なのだろうか。筆者は、いわば年齢に抗おうとする"スーパーマン"村田兆治が、80歳、90歳と年を重ね、散ってゆく様に非常に興味があった。年齢とともに確実に近づいて来る肉体の衰えに対してどうするのか――。それに対峙する、あるいは対峙し始めた矢先に突然訪れた、死。ある意味で彼らしいといえば彼らしいのかもしれない。マサカリに、愛をこめて。