三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

野球観戦の楽しみ方について―広島×ヤクルト戦でのいざこざに思う

 野球観戦の楽しみ方とはどうあるべきなのか。

 それを考えさせられたのは昨年の9月1日、神宮球場で行われた広島カープ東京ヤクルト戦である。試合は3対2で広島の勝利。ヤクルトファンとしては悔しい限りだった。だが、今回の問題は選手側ではなく、観客側にあった。ヤクルトファンと思われる方の試合後のツイート、

 自分もこの場にいて、その一部始終を目撃していた。この広島ファンはヤクルト側の1塁側に座り、広島カープのグッズをフル装備で身に纏い、周りにお構いなしという感じに野次を延々と言い放ちながら観戦をしていた。それに堪忍袋の緒が切れた1人のヤクルトファンが、試合が終わってもなお野次り続ける広島ファンに向かって、

「ここは神宮だ!騒ぎたいなら3塁側に行け!」

と言い放った。まさにその一言に尽きる。というのも、本来広島ファンであれば、ビジター側の席である3塁側に座るというのが普通であるだからだ。強制こそされてはいないが、野球にちょっとでも携わった人にとっては常識的なこととして認知されていることである。もし仮にも、ホーム側でビジターのチームを応援したいのであれば、それこそ存在感をかき消すようにこそこそ応援するというのが常である。

 そんな訳で、この広島ファンのように他の共同体にずかずかと入っていくというのは少なくとも自分には恐れ多くてできない。例えるならば、学校で他のクラスの教室に入るような感じの気まずさである。ちょっとした"聖域"というか、居てもいいけれどあの"居づらい"感じを想像していただければ幸いである。

 野球観戦の醍醐味の1つは、周りの観客の会話が聞こえてくるということだ。例えば、チームや選手の事情にやたら詳しい人達のマニアックな会話、野球に興味のなさそうな彼女を連れてきて、何となく盛り上がっているカップルの会話。桟敷席張りに席を陣取り、野球そっちのけで弁当を頬張るご老人一行のゆるーい会話。それはどんな形であれ、この試合を共有しているという意識をより一層書き立たせる"イージーリスニング"のようなものになっている。しかし、今回の広島ファンの場合はそんなイージーリスニングとはほど遠い。もはや雑音である。まだブブゼラ(2010年サッカーW杯の民族楽器)だとか、子供の甲高い叫び声の方が可愛らしい。

 では、この広島ファン神宮球場において出入り禁止にさせるべきなのか。ただ、それをするためにはその個人を特定し、証拠がなければいけない。やはり個人単位でのブラックリスト入りというのはなかなか困難だろう。かつて、千葉ロッテマリーンズの応援団(Marines Victory Productions)はフロントや選手を批判したことで、応援団の解散という事態が起こったが、ここに関しても、個人ではなく団体に対する処分にとどまっている。

 そんな訳で個人の問題。これに関しては、"モラルの問題"として意識を変えていくしかできないように思える。野球が認知され、沢山の人に足を運んでもらうというのは本当に素晴らしいことである。だが、マナーやモラルの存在が希薄になってはいけない。銭湯や温泉で皆がルールを守ってひと時の安らぎを味わうように、野球観戦においても皆が楽しく観戦し、すばらしいプレーをみんなで共有し、楽しいひと時を過ごすためにはそんな"モラル"の存在が不可欠なのである。

 ただし、試合観戦は観客側にゆだねられているとはいえ、球団側の工夫も怠ってはならないだろう。今回で言えば神宮球場であるが、例えば試合前に球場で配られるマッチデープログラムに注意書きをしておくことや、スタジアムのDJが一言注意を促すコメントを言うだけでも全然違うように思える。

 スワローズは今シーズンから一部のホーム側の席でビジターチームのユニフォームの着用を禁止しているが、これも一部ではなく、もう少し大々的に行ってもいいように思える。ただ、そうした工夫はあくまでも"強制"ではなく、"モラル"としての意識付けという面であることも忘れてはいけない。

 それでも、「お金を払ってさえいるんだから、自由に何をしてもいいだろう」という意見の観客がでてくるかもしれない。だが、それは少なくとも野球観戦の在り方としては間違っているように思える。"お客様は神様"なのか。その言い文句というのは球団や選手側が思っていることで、観客側が横柄な態度をとってもいいということではない。でも、そんな横柄な観客に対してルールを厳格に定め、「試合観戦とはこうあるべきである」という考え方はしたくない。

 ただ、言えることとしては、試合というものには必ず勝ち負けがあって、その結果こそがすべてであるということだ。そして、選手たちがいくらエラーをしても応援しているチームが大敗しても、野球のルールに基づいて行われた試合である以上、そうしたことは起こりうることとして当然だということである。

 そんな試合に一喜一憂し、その空間を他のファンの人たちと共有し、何よりも臨場感のある空間を楽しむ。現地に行って野球を観戦するというのは、それを体感できるだけで十分のように思えてならないのだ。【ほぼ日刊ベースボール11】

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