背番号の持つ意味について「背番号の持つ意味 Part1」では選手名を具体的に挙げながら、その意味についてつらつらと書いていきました。で、今回も例によってそれをやろうと意気込んでみたものの、いつしかそんな作業は途方もないことだということに気が付いてしまいました。しかも、野球に関するサイトをいくつか漁っていけば背番号の由来なんていうものは案外簡単に見つかるようなものであるということにも気が付いてしまいました。
そんなわけで今回は趣を変えて、背番号の持つ意味について某百科事典サイトにあるようなことにはないような切り口でより掘り下げ、自分なりの見解を妄想を絡ませながら書いていきたいと思います。
と、ハードルを上げてはみたものの、案外普通のことを書いていきます。意気込んだ題名の記事なんて言うのは大体そんなもんです。話を戻します。つい先日、マリナーズに復帰したイチローが"球団会長付特別補佐"という役職に就きました。それは今シーズンの選手としての出場は無いけれども、登録選手と同じように練習をし、チームに関わるという契約内容のようです。とはいえ、実質的に彼は引退勧告を受けたということになります。ただ、"退団"や"自由契約"ではなく、ある種の"特殊な"契約が交わされたということは、彼はメジャーリーグにおいて相当大きな功績を残してきたという証であるともいえます。
イチローの残してきた功績。その中でも特に、"背番号の51の意味化"はかなり大きいように思えます。街頭アンケートで100人に「51と聞いて思い浮かべるものは?」と聞いてみたらきっと、100人中70人位はイチローの背番号と答えます(そのうちの20人は"D-51"で10人は"エリア51"と答えます。多分)。そんな架空の街頭アンケート結果を引き合いに出すわけではありませんが、それくらい"51"と聞いただけで多くの人は"イチロー"を思い浮かべるはずです。それは、車のナンバープレートに"湘南"と書いてあって、そこから何となく"爽やか"で"スタイリッシュ"な印象が連想されるような感じと似ています。
51と言えばイチロー、イチローと言えば51。そんな命題は、時に51という言葉の独り歩きを引き起こします。例えば、ある選手の背番号が51だった場合。その選手のことを"イチローのように"俊足巧打のバッターなんだろうなと勝手に想像してしまう。想像するだけなら構いませんが、その選手が活躍できなかった場合はイチローが引き合いに出され、活躍したとしても結局イチローと比較されることになるという具合に、背番号で連想されたイチローの功績がその選手に呪縛のように憑りついてしまうのです。と同時にここでは、背番号に強力なブランド力が発生しているといえます。
"言葉の独り歩き"と書いたのはイチローが51という数字に対して特権的な権力を振りかざすことはできないからです。あくまでも主体は数字側(51という背番号)であって、当の本人であるイチローは何もしなくても物事は進んでいきます。なんだかそれって"ハロー効果"に近いように思えます。例えば、"モンドセレクション"と書いてあるだけでその商品がすばらしい商品であるかのように謳われたり、好感度の高い俳優をCMに起用することで商品自体の質も高いように見せるといったような感じです。
そんなイチローの"ハロー効果的な側面"は、イチローが仮にも不祥事を起こした場合は別です。51という数字の信頼は瞬く間に崩れ落ち、プロ野球選手でも好んでその数字を付ける選手はいなくなってしまうでしょう。街頭アンケートの結果も"D-51"がトップに躍り出るかもしれません。
しかしながら、そんな心配は無用と言わんばかりにイチローは今日において確固たる成績、そして野球界においては確固たる地位を築いてきました。それに伴って51という数字のブランド力、これは揺るぎのないものになりました。ただ、それをいいことに背番号との関連だけでイチローを引き合いに出したりするのは、ある意味で"イチローブランド"の乱用のようにも思えてなりません。あくまでもイチローはイチロー、数字は数字であることに変わりはないからです。でも、そんな"乱用"がなければ世の中は成立しないように思えたりもします。世の中に蔓延る"ブランド"って案外そういうものだったりするのかもしれません。
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