三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

"シーンに対する迎合"によって露わになった新たな一面―エレカシ全作レビューⅨ『明日に向かって走れ-月夜の歌-』

エレファントカシマシ9作目となった『明日に向かって走れ-月夜の歌-』は、彼らのキャリアの中で最大のセールスを記録した。本作がリリースされた1997年といえば、CDの売り上げは最盛期を迎え、テレビ番組は軒並み高視聴率を連発していた時期である。特に、テレビ・ドラマやCMに関しては、そのタイアップから火が付き爆発的に売り上げが伸びるという、ある種プロモーションの型のようなものもあった。例によって彼らも本作から、そんな時代の商業的なレールに乗ることになったといえる。

 

本作の収録曲のCMやドラマへのタイアップは、サビの長さや、1コーラスの長さにも大きな影響を及ぼした。例えば「風に吹かれて」のサビは、CMのサイズになっても不自然がない様に15~20秒程度の長さで完結していて、「今宵の月のように」もドラマ側のオープニングの制約、あるいは音楽番組の時間制限に、柔軟に対応できるような曲の作りになっている。

 

そんな本作はタイアップによる制約によって生まれたであろう、Aメロディ、Bメロディ、そしてサビが明瞭に分けられたJポップ的な構成で貫かれている。それはまるで日本の90年代のポップ・ミュージックのテンプレ、あるいはフォーマットに当てはめたかのようであり、それによって楽曲を構成するそれぞれのパートに意味や役割が生まれている。「恋人よ」を例にとってみると、Aメロディ・Bメロディではマイナー調で展開していきながらも、その後のサビではメジャー調になり、曲の陰陽や情緒の変化が順序立てでわかりやすく伝わってくる。そしてギターソロの後は転調によってクライマックスへの高揚感が計算的に演出されている。

 

こうしたJポップに意図的にアプローチをしていく曲作りのスタイルは、世間への迎合を果たした前作『ココロに花を』(1996)と比してみても歴然である。無論、このスタイルは彼らに限ったわけではなく、当時のメジャー・レーベルの音楽における全体的な傾向であったように思える。そんな"音楽シーンに対する迎合"によって生まれた本作の楽曲。いつの時代も"変わらなく聴ける曲"というよりは、"1997年に作られた曲"、つまりは2019年に聴くと"懐メロ"になっている。つまりは作品が固定化され、時代に合わせて評価されていくのではなく、97年の社会や空気がそのまま封じ込められているのだ。

 

他方で、そうした迎合は、当時メインストリームにいたアーティストや、バンドと同じ土俵で聴かれるということでもある。そこで際立ったのは、フロントマン宮本のエキセントリックでアバンギャルドなイメージではなく、メロディー・メイカーとしての素質の高さと、ボーカルとしての華やかさ、あるいは説得力であった。そう、彼には大衆から支持される歌声があった―。2017年大晦日、バンドはNHK紅白歌合戦に出場し、「今宵の月のように」を演奏した。アルバムのリリースから20年を経て、大衆音楽の祭典の舞台では、改めてそれが証明されているかのように映るのだった。

 

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