1994年、エピックとの契約が切れたのち、ポニー・キャニオンから再出発を果たした8枚目『ココロに花を』。彼らと同時代のUSのグランジやパンク、あるいはUKのオルタナティブ・ロックが内包されたこれまでの作品から大きく舵を切り、エレファントカシマシは遂に世間への迎合、つまりJ-POP的な手法で描かれたポップなサウンドへの転換を果たした。
全体的な作品のトーンは明るくなり、特にドラムの音はシンバルやスネアをパーンと叩くと、そこから暖色系の音の花が咲くような華やかさがある。前作『東京の空』では、都会に流れる無機質な情景をありのままに描いた。だが、このアルバムに関しては、どこか有機的で血が通っていて、生気や生命力すら感じられるのだった。
そんな今作、プロデューサーに佐久間政英を迎え、サウンドから歌詞、歌唱法に至るまで、聴きやすさが徹底的に意識されたことで"名曲"が生まれている。ただ、ここでいう名曲というのは決して、主観的なものではない。クラシックやスタンダードのような、時代に揺らぐことのない曲のこと、もっと言えば10年、50年、あるいは100年後もずっと聴かれ続けるような曲のことだ。
1996年のリリースから23年の月日が流れ、世間の価値観や生活スタイルは大きく変化した。けれども本作『ココロに花を』は2019年という土壌の上でも、いまだ当時同じように力強く芽吹き、花を咲かせ、周りからは決して孤立することなく見事に溶け込んでいる。喜怒哀楽や五感、あるいは生活を取り巻く風景を、誰でもわかるような言葉を使い、抽象的に描いたことで"時代性"というものが取り払われ、作品は不変的なものになっている。すると、作品という土台の周りを、時代だけが天動説のように刻一刻と廻っていくような見方ができるような気がするのだ。
1988年のデビュー以来、バブル崩壊、就職氷河期、阪神淡路大震災、リーマンショック、そして2011年の東日本大震災と、日本を取り巻く大きな社会問題の流れの中で、音楽と格闘してきたエレファントカシマシ。その中でも、この本作の価値や、作品のもつ強度の高さを再確認させる契機となったのは、東日本大震災であるように思える。
特に「悲しみの果て」に関しては、それを象徴するかのような楽曲だ。宮本は、震災直後この曲を歌う際、"自分たちの希望の歌だと思って歌っている"と言った。いつもの風景の下で、普遍的な生活を送ることこそ素晴らしい日々であり、悲しみの対極に位置している。そして、"すばらしい日々"を目指していくことこそが"希望"である—。この楽曲は、契約切れという当時のバンドの境遇がそのまま反映されている。しかしながら、震災という大きな社会の出来事とリンクをし、リリース当時とはまた違った見方が与えられたような気がするのである。
『ココロに花を』は、これからも作品としての強度を保ちながら、いつの時代にも寄り添い続ける存在であり続けるだろう。そして、目まぐるしく変化する社会の方は天球のように、どっしりと鎮座した作品を中心に動き続け、作品をさまざまな角度から見届けていくのである。