2022年10月16日。今日はノラ・ジョーンズのライブである。日本武道館へ途中、錦糸町駅に用があって立ち寄ると駅前の広場で「ジャズ・フェスティバル」なるものが開催されていた。多くの人がその様子を見ている光景に、少しだけ感動してしまった。依然としてマスクの着用は続けられているが、それ以外の日常は確実に戻りつつある。2年前は考えられなかった光景である。イベントは錦糸町各所で行われているようで、いろいろなところから楽器や歌声が聞こえてきた。こういうイベントはできるのなら正直毎日のようにやっていいと思う。生活と音楽、引いては芸術はつながっていると常々思う。九段下へと向かう。この日は体調が優れず、座っていても少しだけ辛かった。九段下に到着すると池から生臭いにおいが漂ってくる。池の前で写真を撮ったり、その周辺で待ち合わせをしたりしている人がいたが、何も感じないのだろうか。自分は思わず吐き気すらもよおしてしまうほどであった。開演までまだ時間があったので九段下の坂を下り、近くのドラッグストアで水とお菓子を買った。本当はアルコールが良かったのだが、トイレが近くなりそうなのと、周りから冷ややかな視線を浴びそうだったのでやめた。
武道館は今年1月のエレファントカシマシの新春ライブ以来である。スタッフの腕章を見てみると、学生時代にアルバイトしていた会社がやっていた。
「あ、あの人まだやっていたんだ、この人も見たことある」
そういう懐かしい感情がやってきた。コロナウイルスの流行によって、ライブやイベントが軒並み中止になったとき、彼らは何をしていたのだろう。座席は、ノラ・ジョーンズのピアノの真後ろであった。正直言って良い席とは言えたものではないが、ひと先ずはその音を聴けるだけでも良しとすることにした。客が出たり入ったりしている間、オープニングアクトのロドリゴ・アマランテが登場する。ギター一本と歌のみのシンプルな演奏。バーの"流し"のような佇まいを感じた。彼の音楽は武道館ではなく、酒とつまみをいただきながらゆったりとした雰囲気で聴きたい音楽であった。これはノラも同じであるが、彼女の凄まじい集客力だと厳しいのだろう。もれなくプレミアライブになってしまう。ロドリゴの演奏が終わり、休憩時間に入ると人はどんどん押し寄せてきた。会場は満席。ついには自分の座っている席の周辺も席が埋まった。
場内が暗転し、きらびやかなスパンコールのような衣装をまとったノラが登場する。その歌声を聴いたとたんに鳥肌が立った。井上陽水の歌声を聴いた時のような、圧倒的な支配力と包容力である。ハスキーな歌声は優しく、とても美しい。歳を重ねさらに円熟味も増している。ピアノも歌っているようだった。楽曲に随所に挟まれる小粋なアドリブがまた良かった。充実した心地の良い時間がゆったりと流れてゆく。武道館の唯一の難点としては座席が狭く、ホールのように背もたれがないところである。東京国際フォーラムやNHKホールでこれを聴けたら――欲を言えばそのようなことを思ってしまう。アンコールの前に演奏された彼女の代表曲「Don't Know Why」。これを聴けただけでも今日来た甲斐があった。アレンジはスタジオ収録版と大きく違っていたが、それがほんとうに素晴らしかった。全身の細胞組織がブワーっと沸き上がるような感覚を覚え、知らぬ間に涙が溢れ出てきていた。昨年観に行ったKing Crimsonでは、彼らの代表曲「21st Century Schizoid Man」が、来日の8公演のうち自分の行った1公演だけ演奏されないということがあったが、今回それは免れたのでホッとした。
この日のライブでは、声出し禁止のアナウンスがなかったせいか、
「ノラ、アイ・ラブ・ユー!」
と言う人が何人かおり、その度にノラは、
「I love you too」
と返してくれる。ライブにインタラクティブなものを感じたのは久しぶりだったように思える。やはりライブはこういう要素が必要である切に感じた。
「I can't see you, but I feel you (姿はみえないけれど、みんなの温もりを感じるわ)」
という一言が印象的だった。アンコールを含め1時間半。とはいえ、濃密なライブであった。例によって帰りは、生臭い池の前を通らなければならず,
また気分が悪くなった。道端に咲いていた金木犀の香りがその臭いに負けじと甘い芳香を放っていた。秋の夜長にジャズの調べ。