三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

2010年代の音楽を振り返る―ストリーミングがもたらした音楽

 2010年代の音楽シーンを語るうえで、定額制ストリーミングサービス(ストリーミング)の浸透というのは切っても切り離せないトピックであるだろう。2011年にアメリカに上陸してからというもの、音楽市場においては爆発的にその規模を拡大させ、世界的に見ると昨年2018年にはついに、ストリーミングがフィジカルのシェアを越えたことが大きな話題になった。現在と過去の作品が一挙にアーカイブ化された環境におかれたリスナー側にとっては、音楽の取捨選択の幅も広がった。とはいえ、人間の許容量には限界がある。極端に言えば、自分の気に入った曲だけを選んだより効率的な聴き方、音楽をアルバム単位ではなく一曲毎、あるいはプレイリストを作って聴くという流れへと変化していったともいえるだろう。

 

 他方、ストリーミングの普及は、アーティスト側にも影響を及ぼすことになった。アルバム単位で聴かれなくなったことで楽曲のサイクルは早まった。そこで親和性を見せたのはロックに代わってヒップ・ホップであった。同じフレーズやリフをループ、そこにメロディという制約をなくし、リリックをもって自由に表現をしていく。2010年代は、バンドという集合体が時間をかけて音楽を制作するよりも、個がDIY的に矢継ぎ早に作っていくスタイルへと、メイン・ストリームが移行したといえるのだ。

 

 では、この10年でなぜロックはヒップ・ホップに後れを取ったか。続いてはそちらの方にフォーカスを当てて論じてみたい。その一つにはストリーミングとの親和性の低さ(ヒップ・ホップと比べたとき)にあるといえるだろう。ただ、それだけではないと筆者は考える。それはロックが持つ"保守性"である。The Beatlesの黎明期から現在に至るまで、楽器を集約させ一つの表現をするというスタイルによって、長年ロックは音楽シーンを引っ張る存在になってきた。ただ一方では視覚的な効果との融合や、身体的な表現(ダンス)というのはある程度限られてきたともいえるだろう。つまりロックは、そうした制限(楽器やバンドという形態)からの逸脱に対して、きわめて保守的であったのだ。

 

 ただ、そんなロックの保守性も2010年代になって変わってきた。その変化が可視化されたのは今年のCoachella Fes.のThe 1975だった。彼らのステージでは"バンド"という形態であっても、そうしたロックの従来的な制限的な要素を覆していくかのような演出になっていたのが印象的に映った。たとえば、「Sincerity is Scary」では、Jamiroquaiの「Virtual Insanity」のMVを彷彿とさせ、ボーカルの身体化を強調的に表現しているのが印象的だった。また、「TOOTIMETOOTIMETOOTIME」や「Its Not Living」では、ダンサーを据えたことで、"バンド"という従来的な形態からの逸脱を試みているようにもみえた。

 

 ロックのサウンド面の変化に関しても注目をしたい。それは、これまでロックに呪縛的に憑りついていたギターからの解放である。Linkin Parkの『One More Lignt』(2017)でのポップ・サウンドへの変容、さらにはMUSEが『Simulation Theory』(2018)においてみせた、スタジアム・ロックからスタジアム・ポップへの移行はまさにその象徴であったといえるだろう。Weezerも『Weezer(White Album)』(2016)以降、ロックというものを再定義し、かつて彼らが纏っていたガレージ・ロックという殻を破った。2000年代が従来のロック然としたもの飽和状態であるとするならば、2010年代はそこからの逸脱、あるいは解放であったといえる。

 

 ただ、面白いことにヒップ・ホップの方はというと、エモ・ラップシーンにみられる、1990-2000年代のラップ・ロックやギターサウンドを再解釈したような楽曲が勃興してきている。たとえばXXXTENTACIONの「One Minutes feat. Kanye West & Travis Baker」は、その参照点にLinkin Parkの『Meteora』があることを色濃く感じさせる。それは、RUN DMCAerosmithの「Walk This Way」のコラボレーションやAnthrax & Public Enemyの「Bring The Noise」、あるいはKornRage Against the MachineLinkin Parkに代表される90-2000年代初期のロックがヒップ・ホップと融合したことで生まれた、ミクスチャー・ロックと全く逆の流れである。つまり、2010年代(主に後半において)はヒップ・ホップ、特にエモ・ラップシーンが、2000年代のロックを再解釈しリバイバルを図ろうとしている時期でもあるといえるのだ。

 

 ストリーミングの流行がもたらした、リスナーとアーティスト両者に対する音楽的な影響。曲の在り方は、あらたな媒体が生まれることで大きく変革する。これまでもレコードに代わってCDが登場したときはそのトラック数や容量が変化をしいられた。さらにCDから配信に代わると、今度は74分という要領からの逸脱も可能になった。その意味で2010年代は、間違いなくCD登場以来の大きな変革が生まれたといえるのではないだろうか。それは、2000年代までは盤石だったロックの低迷、そしてヒップ・ホップの流行に顕著である。ヒップ・ホップはストリーミングとの親和性を最大限に生かし、メイン・ストリームへと躍り出た。他方でロックはそんな低迷の中で、新たな可能性を見出そうとし、ロックの持つ保守性と対峙してきた。そして2010年代が終わろうとしている現在、ヒップ・ホップはロックバンドが手放したギターサウンドを再解釈しようとしている。歴史はまた、繰り返すのである。