三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

鎌倉珍道中⑤——横須賀スカレー

新しい朝が来た、希望の朝だ——。ここは藤沢某ホテル。シャーッとカーテンを開けると、見事な景色は広がってこない。ただのクリーム色の壁である。へにゃへにゃの枕であったせいか、首に違和感を感じ、喉は砂漠のように乾燥している。ごく普通のありふれたビジネスホテルに相応しい、ごくありふれた、朝の体調といったところである。共に旅をしているメタラーの友人Aは既に起床しており、ベッドの上で何やら座禅を組んでいた。
「これかい?メディテーション(瞑想)さ。一日のスタートはこれに限るよ。これをすると、一日エネルギッシュに過ごせるんだ。ちなみにメディテーションは精神的な病気にもいいし、身体の痛みだって緩和してくれる。ヘヴィ・メタルだって同じようなものさ。ヘヴィ・メタルを聴くと、身体の疲れが消えてなくなるんだ。まだガンには効かないけれど、きっとそのうち効くようになるはずさ——」
そんな戯言を言っている間に、朝食を調べてみる。この日は、横須賀に行くことになっていた。横須賀といえば海軍カレーであるが、あいにく朝の早い時間から営業している店はなさそうであった。横須賀はご存知のように第二次世界大戦後の占領政策以来、アメリカ海軍の拠点の一部として重要な役割を果たしている。在日米軍従業員やその家族を含めると、その数は横須賀市の人口の10パーセント程を占めるのだとか。そのため、横須賀にはアメリカンスタイルの飲食店が多く立ち並ぶ。

 

アメリカンな朝食といえば、カリカリに焼いたベーコンに卵(目玉焼きかスクランブルエッグ)、そしてパンケーキやワッフルという組み合わせが定番である。例によって、横須賀にもそういった類の店は点在しており、Aに提案してみると意外な返答が返ってきた。
「まったく勘弁してくれよ、朝から脂っこいものを食べることは全然クールじゃない。目玉焼きはまだいいけれど、カリカリのベーコンに甘ったるいワッフルなんて考えられないよ。やっぱりブレックファーストと言ったら、ホットなご飯にホットな味噌汁だよ。違うかい?——」
Aは生粋のジャパニーズであった。メタルメタル言っている割には、ニッポン人の心を忘れていないのである。そんなわけで、ジャパニーズ・ブレックファストの店に行くことにした。30分ほど電車に揺られ横須賀駅に到着する。アメリカ感もへったくれもない、日本の郊外の一般的な駅である。だが外に出ると景色は一変、海を眺めれば、アメリカ軍ご自慢のネズミ色した原子力空母が、存在感を示していた。駅から市街地までは15分ほど歩く必要があった。歩きたくない場合は、横須賀中央駅で降りることをオススメする。快晴であるが、海から吹き付けてくる風は1月に相応しく冷たい。

 

我々が朝食に訪れたのは「米と卵」という店だった。内装は少々お高めのアパレルショップのようにがらんとしていて、そこにテーブルと椅子が無機質に数個置かれている。新進気鋭の飲食店にありがちな、人間的な営みの一切感じられない、SNSのマーケティングに特化した佇まいといったところか。店はオープンキッチンであり、先客の洗い物が山積みになっているのが見えた。それもそのはずで、店内は一人で切り盛りしているらしく、ホールとキッチンを兼務している重労働っぷり。座った椅子に違和感があり、お尻の方を探っていると、使用済みの箸が一本出てきた。直感的に、あ、失敗したかもという感情が浮かび上がってきた。薄汚れたラミネート加工のメニューには、朝食卵かけご飯セットの文字。家に出現する虫ようにカサカサカサと縦横無尽に動きまわる店員を何とか捉まえ、注文する。食事を待つまでの会話というのは、おおむね注文した食事が提供されるまでの一般的な時間をもって構築される。ラーメンであれば短いだろうし、逆に手間を必要とするものであれば、長くなる。なお、今回の場合はそのシチュエーションが朝食であり、おそらくは既に出来上がっているものを盛り付けるスタイルであろうことから、その時間の短さが、Aとの間で半ば暗黙的に共有されていた。

 

ところが我々の意に反し、卵かけご飯はいつまでたっても提供されなかった。当然ながら、話題も無くなる。いや、無くなるというよりも、会話の構築が完了してしまったといった方がいいのかもしれない。無論、これは決して仲が悪いだとか、気まずいだとかそういった類のものではなく、ただただ純粋な空白、あるいは無の時間が出来上がってしまったということなのである。音の割れたスピーカーからは、和食店と謳うには相応しくない陽気なソウルミュージックが流れている。一体どれくらいの時間が経っただろうか。卵かけご飯を注文したという事実が記憶の中でおぼろげになりつつあった瞬間、目の前にそれは現れた。一般的に卵は殻に付着したサルモネラ菌の感染防止のために、卵を乗せる(あるいは殻を入れる)ための器と中身を入れるための器が2つセットになって提供されるものであるが、どうやらその棲み分けはないようであった。ただ、先ほどの箸の一件から、ここの衛生観念にはもう驚かない。肝心の味については、卵の方は確かに美味しいが、米がいま一つ。店名に「米」を冠している割には、一般的な外食チェーン店のような質感であった。このような感想をつらつらと書いている筆者であるが、結局、米と味噌汁を幾度となくおかわりするという体たらく。その卑しさには我ながら恐ろしくなるほどであった。

 

店を出て、ドブ板通り商店街へと向かう。道行く人の10人に1人くらいは、アメリカ軍の関係者と思しき人であった。家族連れ、夫婦、同僚——。年齢は30代から40代くらいが多かったような気がする。横須賀米軍のホームページの案内文にはこのように書かれていた。

横須賀への赴任おめでとうございます。皆さんはこれから、太平洋における隠れた名所、横須賀海軍施設へと向かわれることになります。(congratulations on your orders to Yokosuka. You are on your way to the Pacific’s best kept secret; Fleet Activities Yokosuka.)

彼らは横須賀を見て何を思うのだろう。
「——まったく、毎日がクレイジーだよ。でも正直言って今の時期はすごく寒いよ。ロサンゼルスの暖かさが恋しいね。もちろんワイフもな。そんな俺に寄り添ってくれるのはいつだってヘヴィ・メタルだけさ。ヘヴィ・メタルはすべてを解決してくれるんだ」
などと遠巻きの米兵に対してアテレコを入れているのは言わずもがなAなのであった——。(続く)

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