メタラーの友人Aと行く恒例の初詣企画。我々の風体に見合わぬ、思いのほか小洒落た和食店で昼食を済ませてしまった我々は、江ノ島に行くべく、最寄りの江ノ島電鉄の駅へと向かう。鎌倉駅よりも和田塚駅の方が近かったため、そちらにしたがこれが誤算であった。電車が到着すると、朝の東京の満員電車をそのままパッケージングきたかのような光景が広がっていたのだ。無論、中に乗っているのは脂ぎったサラリーマンや疲れ切ったキャリアウーマンなんかではなく、カップル、インバウンド、観光客、地元の中高生であった。いわゆる昨今話題になっているオーバーツーリズムというやつである。朝、例えば遅刻なんかをして、時間が差し迫っている場面であれば隙間に押し込むようにして乗り込んでしまっていたかもしれないが、ここは江ノ電であった。切迫などしていないし、観光中にそんなことなどしたくなかった。そうして我々は次の電車を待つ。時刻表を確認してみる。
「えーと、次の電車は、20分後か……」
かかる三点リーダーの余韻には、首都圏の利便性の高いインフラストラクチャーに慣れ切った人間特有の無邪気な軽蔑が纏われていた。なお、そのように発言した筆者の出身地はニッポンの辺境、秋田であった。今一度、1時間に1本しか電車が来ない無人駅の厳しさを思い出さなければいけない。そしてやってきた次の電車もやはり先ほどと同じくらいの込み具合であった。
「まったく、なんてクレイジーな電車なんだ!オジー・オズボーンの「Crazy Train」はきっと江ノ電の光景にインスピレーションを受けて作ったに違いないね!ただまあ、このくらいの込み具合なら、LOUD PARKのモッシュよりはイージーだね」
そう言いながら、Aはわずかに空いた一人分の隙間に颯爽と乗り込んでいった。筆者も何とか隙間のある車両を見つけて、急いで乗り込む。観光地に来てまでなぜこんなことをしなくてはいけないのだ——。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた車内で体をよじらせながらイヤホンを取り出し、流したのはASIAN KUNG-FU GENERATIONの『サーフ ブンガク カマクラ』であった。このアルバムに収録されている楽曲は、江ノ電の駅名あるいは地名にちなんだものになっている。いわゆる"サブカル人間"は、ただでさえこの海沿いの都会から少し離れた少しレトロでええ感じの場所に鋭い嗅覚をもって群がるのに、こんな作品を出された暁にはもう、猫にマタタビが与えられるようなものである。無論、筆者もその一塊であった。曲を聴いていると、走行時間と曲の長さが概ね同じであり、その辺りまで計算しながら作ったことがはっきりとうかがえる。ジャパニーズウィスキーならぬジャパニーズWeezerのような爽やかさと、日本の土着的な湿っぽさが共存したサーフサウンドが心地よい。和田塚ワンダーズ、由比ヶ浜カイト、長谷サンズ、極楽寺ハートブレイク、稲村ヶ崎ジェーン、七里ヶ浜スカイウォーク、日坂ダウンヒル、腰越クライベイビー、そして江ノ島エスカー——江ノ島に到着する。午後、日が傾いてきた江ノ島には、1月の冬らしい、凍えるような海風が吹いていた。
飲食店やら土産屋やらが立ち並ぶメイン通りを抜け、江の島大橋に差し掛かると、遮るものがないせいか、寒さが針のようになって顔に刺さってきた。視線の先には江ノ島の小高い岩山に、飲食店の案内看板がひしめき合っているのが見える。1990年代のバブルの頃から変わらないステレオタイプな日本の観光地の風景といったところか。江ノ島といえば、かつての昼の情報番組「午後は〇〇おもいッきりテレビ」のCM前に江ノ島のお天気カメラの映像流れていた印象が強い。筆者にとって江ノ島は、アジカンの江ノ島エスカーなんかではなく、みのもんたの江ノ島オモイッキリテレビなのである。不覚にも、あの軽快なBGMが時おり脳内でリフレインしてきた。同時に夏休み、祖父母の家で素麵をすすりながら観た記憶が蘇ってきた。数百メートルの風の洗礼を受け、江ノ島に到着する。江島神社までの道は坂になっており、その両側にはテイクアウトの露店やら雑貨屋やら、種々雑多な店が立ち並んでいた。駅前よりも店の新陳代謝は緩やかなのか、昭和から存在しているであろう老舗の土産屋もちらほらとみられた。数件おきにタコせんべいの店があり、店の前にはA3の茶封筒のようなタコせんべいを持って写真を撮る若者の姿があった。細い道にありとあらゆるものが集結している坂の感じはどこか台湾の九份のようである。
江島神社着くと、観光地らしく虚勢を張るでも、厳かすぎるわけでもない、至って普通の鳥居が出現した。左手には江ノ島の頂上に行くためのエスカレーター"江ノ島エスカー"の乗り場があった。なるほどこれがアジカンの曲名にもある「江ノ島エスカー」かと感服し、興味ありげに眺めていると、Aが筆者の思惑に先回りするかのように、
「確かにこれを使えばイージーに頂上まで行くことができる。でも我々にとってそうすることはベスト選択じゃない。わかるだろ?一歩一歩、自分の足で前進することが本当のLUCK(幸運)を掴めると思ってる。何と言ってもオレ達は運動がLACK(不足)しているからな、ハハハハハ」
などと言い始めた。なるほど確かにということで、頂上まで登ることにした。
階段をしばらく上っているとこれまたザ・神社、といった感じの一般的な佇まいをした辺津宮が現れた。そしてまた進んでいくと中津宮に着する。ここが江ノ島エスカーの終着点であるらしかった。展望デッキからは、太平洋の広大な景色が広がる。15分程度寄り道しながらチンタラ歩いた割には十分すぎる景色だった。申し訳ないが、一般的に健康で不自由なく生活できている人は、エスカーを使う必要はないと断言できる。さらに江ノ島の奥の方へと進んでいく。アップダウンを繰り返し、ひと昔前の手書きフォントの土産屋を通りぬけていく。無論、往時の勢いは感じられない。どの店も輪郭がぼやけ、くすんでいる。実際の色が、というよりも発せられるオーラがそういった感じなのである。いずれこの場所もリノベーションがされ、面白みのない平均化された風景になっていくのだろうか。奥津宮を過ぎ、断崖を切り開いて作ったかのような階段を下っていくと、江ノ島の西南端 、稚児ガ淵に着いた。陽は傾きはじめていた。ごつごつとした岩が広がるこの場所の名はかつて白菊という女性が、断崖から身を投げたことに由来しているのだとか。
この伝説について少し。白菊というのは、鶴岡八幡宮の僧坊相承院で学んでいた稚児であるが、なぜ身を投げるに至ったのか。そこには高僧の自休という男の存在があった。この男、白菊を見るや否や一目ぼれをし、以来、熱烈な愛情を抱くこととなる。来る日も来る日もその姿を追い、仕舞には家に押しかける始末。現代でいうところの"ストーカー"であるが白菊はそれに耐えられなくなり、ついに江ノ島の海に飛び込んでしまうのだった。ちなみにこの話にはもう一つのパターンがあり、囲碁を打っていた自休の相手が「自休の碁石が死んだ」というのをたまたま聞いていた白菊が「"自休"が死んだ」と勘違いをし、悲しみのあまり身を投げた、というものもある。この伝説はのちに脚色され『桜姫東文章』 という歌舞伎の演目にもなっている。いわゆる心中ものであり、当時は人気を博していたのだとか。岩場の合間の整備された歩道を進んでいくと、行列が目に入った。岩屋という洞窟に続く入り口は有料であるらしく、皆、それに並んでいるようだった。あいにく筆者は閉所恐怖症であり、別段Aも興味があるわけではなかったので、通路で夕日を眺めることにした。桜が咲けば花見をしたくなるように、海に来れば夕焼けを眺めたくなるのが人間の性なのである。
しばらくの間、煌々と揺らめくオレンジ色にうつつを抜かしていると突然、ザッバーン!という大きな波しぶきの塊が襲ってきた。塊はちょうど筆者の隣、つまりはAの方向に向かってやがて散弾銃のように広がった。
「ワオ!なんてスプラッシュなんだ!次のライブの演出に是非とも使いたいね——」
などと虚勢を張っているAを見てみると、しっかりびしょ濡れであった——。おおむねこの日の目的が達成された我々は夕陽を背に、江ノ島駅へと戻る。灯りがともされるとますます九份っぽさが出てきていた。江ノ島大橋を歩く頃、夕陽は間もなく地平線に消えようとしていた。しばらくその様子をじっと眺めてみる。今日が終わり、また明日が始まる。誰かが生きていても、あるいは誰かがいなくなっても世界は変わらずに動き続ける——。そんな感傷的な気分になりかけたところで、この日一番の冷たい風がトゲのように突き刺さってきた。あー寒い寒い。さあ、急いで駅に戻ろう——。(続く)
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