毎年恒例となったメタラーの友人A*1との初詣企画は、鶴岡八幡宮参拝というメインイベントが早々と達成されてしまった。我々は鎌倉駅の西口の方に行って、そこから由比ヶ浜の方に向かうことにした。12時過ぎであった。海に近づくにつれ、風がさらに強まってきた。以前、桑田佳祐が自身のラジオで、オススメの鎌倉の場所について教えてほしいというリスナーの質問があった際、こんな感じのことを言っていたような気がする。
「オススメって言ってもね、まあたくさんありますよ。でもここでアタシがお店なんかを紹介しちゃうとね、色々と迷惑なこともあったりするんで。でも、鎌倉駅の西口はいいですよ。少し歩くと四つ辻になっている場所があるんです。紀伊国屋とかがあったかな。そこから見える風景がね、またいいんですよ。イギリスにアビー・ロードってありますでしょ、あそこ風景にそっくりなんですよ。だからアタシ勝手に"鎌倉のアビー・ロード"って呼んでいるんです」
そんな話を思い出しながら進んでいくと、スクランブル交差点に差し掛かった。紀伊国屋もある。市役所に向かう道であるが、ここには東口とは違う生活感のようなものが漂っていた。まさしくこれは言い得て妙、鎌倉のアビー・ロードであった——。
駅前周辺の観光地の特有のステレオタイプな店は次第に鳴りを潜め、だんだんとお洒落なお店が立ち並び始める。とはいえ下北沢のような嫌悪感はない。お高くとまっている場所というよりは、根っからのお高い場所というのが伝わってくるからである。すれ違うのは、グレイヘアーの女性、制服をしゃんと着こなした学生ら。風水やらスピリチュアルやらには無縁であるが、良い"気"が流れているというのはこういうことかというのがわかった気がした。歩いていると、何となく見覚えのある通りに来た。確かここを進んでいくと……あった。踏切である。学生の時分、宿に向かう途中で見た風景がフラッシュバックする。住宅街の合間に突然現れた踏切——あの時はちょうど江ノ電が通過していった。記憶というものは案外片隅に残っていて、それが五感を通じて再びスポンジのように簡単に膨らんでくれるものなのかもしれない。海に近づくにつれ、砂埃が舞っているのが見えてくる。パラパラと服に砂の粒子が打ち付ける音がする。風は海の方から吹いてきており、波打ち際まで来ると、途端に砂埃が来なくなった。風の音と波の打ち寄せる音だけが聞こえてくる。Aが突然、砂浜に"STRANGER THINGS"と書き始めた。デモゴルゴンに憑依されたウィル・バイヤーズが如く、一心不乱の様子である。そう、ここ由比ガ浜は『ストレンジャー・シングス』ゆかりの地で——あるはずがなかった。あいにく、作品の架空の舞台ホーキンスに海はなかった。先ほど来た道を戻り、昼食の店へと向かう。
「——『ストレンジャー・シングス』はやっぱりエディ・マンソンが裏側の世界でMetallicaの「Master of Puppets」を掻き鳴らすシーンが最高にクレイジーだったよ。ただ一つ、気になったのは彼が使っていたアンプだね。あれはギター用のアンプじゃなくてベース用のアンプなんだ。まあ、見栄え的に大きいサイズの方が映えるだろうし、あえてそうしたんだろうと思う。それよりも気になったのは、アンプのメーカーさ」
「それはどうして?」
「普通あの時代のメタラーといえば、マーシャルのアンプを使うのがお決まりなのさ。けれどもエディはフェンダーを使っていたんだ」
「なるほど、ここも意図的なものなのかな?」
「さて、どうだろう?ただ、マーシャルはイギリス製で、作品の舞台がアメリカだから当然アメリカ製のフェンダーよりも間違いなく高いはずさ。そして彼の家庭はスティーヴやマイクの家みたいに裕福ってわけでもなさそうし——その辺まで考えてあえてフェンダーにしていたのなら、かなりファンタスティックなクリエイターがいるに違いないよ」
「確かに、その説はかなりリアリティがある——」
などとついこないだ完結した『ストレンジャー・シングス』談議に花が咲く。
昼食は、土産屋やカフェ、雑貨屋やらが立ち並ぶメインの通りを少し裏手に行った所にある「橘」という和食店であった。3階建ての民家のような造りであり、看板がなければそのまま通り過ぎてしまうほどひっそりとあった。階段を上がり、スリッパに履き替え、中に入ると先客が数組。観光地の喧騒から離れた落ち着いた雰囲気の店である。店主にメニューを渡されると、簡素なフォントで3種類のランチメニューが書かれていた。Aは海の幸の御膳、筆者は合鴨の御膳にした。ドリンクはせっかくだからということで、熱燗を頼んだ。これは意外にもAのチョイスであった。
「ジャパニーズ・サケは一番好きなアルコールの一つさ。ストレートで小さいショットグラス……えーと、オチョコっていうんだっけ?それで飲むとこれがまたうまいのさ。普通はアイスで飲むんだけど、最近は寒いだろ?だからホットにして飲んでいるよ。オレにはこれがどうやって造られているかはよく分からない。でもそれってマジでクールなことでさ、最高にロックしている人間には知る必要がないことってのがあるのさ——」
しばらくすると、前菜がやってきた。カリフラワーの酢の物と、小松菜とシラスの和物、焼き豆腐、細長いお猪口のような容器に注がれたスープ。それらは、鯉登りの鱗のような模様をした青い皿に乗せられている。どの料理も決して主張しすぎることはせず、次に来るメインディッシュへの期待を膨らませてくれるような味であった。次に来たのは野菜のてんぷらの盛り合わせ。必要最低限の衣を纏った野菜はどれも軽く、南極の氷棚のように口の中でバラバラと崩れた。この後の予定についてAと相談をしていると、Aが突然、
「いっそのこと今日この辺りに泊まってみるのはどうだい?クレイジーだろ?もちろん今ここで思いついたアイデアだから、泊まる宿はまったく見当もつかないけどねハハハ!」
などと言い出した。例年、日帰りで関東圏の神社を参拝し、飯を食い、温泉に行って帰るという流れになっていたが、確かに、たまにはこういうのもアリなのかもしれない。決定である。
「そしたらまだ時間に余裕もあるし、この後は江ノ島にでも行きますか——」
そうこうしているうちに、メインの合鴨の治部煮がやってきた。一口頬張ってみると、醬油とみりんの甘さに負けないくらいに濃厚な肉の旨味がじんわりと滲み出てきた。これはご飯にぴったりである。熱燗も追加で注文する。ご主人が言う。
「昼間っから飲む酒はいいですよねぇ——」
おっしゃる通りである。ランチのセットと日本酒を飲んで一人当たり、2,600円ほどだっただろうか。鎌倉にしてはリーズナブルな店ではないかと思う。帰り際、店に来訪者があった。話を聞いていると客ではなく幼稚園の関係者で、給食の契約の話であるらしかった。給食にこんなクオリティーのものが出てくるのなら、子どもたちも嬉しいのではないだろうか。すっかり満足した我々は、江ノ島へと向かったのだった——。(続く)
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