九段下、退勤ラッシュ、いつもとは違う電車。「大きな玉ねぎの下で」を断片にした発車メロディーを背に、2番出口の表示を探す。入り組んだ地下鉄の通路をアップダウンし、長い階段を上ってようやく外に出る。たちまち、東京の疲労を凝縮したような悪臭が立ち込めてきた。上京してかれこれ10年になるが、いつになってもこの臭いには慣れない。時刻は18時半。10月下旬、外はすっかり冷え込んできていた。急な坂をしばらく上っていくとライトアップされた青銅色の屋根が目に入ってくる。日本武道館だ。このファーストインパクトに感動するのか、多くの人が立ち止まり、スマートフォンを掲げている。入り口に設えられた重厚な門を通り抜けると、その全容が見えてきた。ここでもまたシャッターチャンス。一般通行人とライブ列に分けられた歩道をジリジリと進んでいくと、この日行われるライブタイトルが正面入り口、「館道武」の看板の下に掲げられていた。黒色の背景にアメコミのような黄色と赤色のフォントで書かれた文字は「俺と、友だち」——。
武道館の細いコンコースから場内へ。階段を上った先、後方立見席に到着する。金属の手すりに席番号が書かれただけの、実に簡素なスペースである。平日にもかかわらず既に満員に近い状態だ。会場には、The War On Drugsが流れていた。開演前のアナウンスが流れると、緊張感が徐々に高まってくる。今日はどんなライブになるのかまったく予想ができなかった。エレファントカシマシでもなければ、ソロでもない「俺と、ともだち」——。この新プロジェクトは、10月の初旬に突如として発表され、その口火を切った下北沢SHELTER公演はキタダ マキ(Ba.)、そしてエレファントカシマシの冨永義之(Dr.)のなんとスリーピースであった。直前のアナウンスで、キタダとの2人体制になってしまったが、新しい何かが始まるという期待感は増すばかりであった。
そして、その第2弾がここ日本武道館公演で行われる。宮本浩次(Vo./Gt.)、名越由貴夫(Gt.)、奥野真哉(Key.)、キタダ マキ、玉田豊夢(Dr.)の5人体制、もちろんこのメンバー構成で演奏するのは初めてだ。19時を少し過ぎた頃、場内が暗転する。それぞれの観客の内から思わずあふれ出してきたような声が重なる。少し遅れて拍手がクレッシェンドしていき、誘導灯に照らされメンバーと共に宮本は颯爽と登場した。この日の宮本は黒色のシャツにスキニージーンズ姿。そのシルエットはモンキー・パンチの描くキャラクターがそのまま飛び出てきたかのようである。両手と片足を上げ、ポーズを決めたかと思うと、すぐに黒色のレスポールギターを手に取る。まるで抑えきれない感情を一刻も早く解放したい、そんな所作であった。拍手が止み、まさに固唾を飲むという表現するに相応しい雰囲気が充満する。静寂の場内を切り裂くように鳴り響くドラムビート。直後、ギターのフィードバック音が重なったかと思うとブレイク。暗闇の中の一筋の光の下、宮本の手によって無造作にリフがかき鳴らされた。「over the top」——。
ドラムビートは再び2本のギターの音を巻き込んでいき、凄まじい音圧になってゆく。そんな暴風雨のようなうねりに飛び込んでいくように、宮本はリズムからやや前傾気味に言葉を吐き出していく。ゼロから一挙に100へ。黒いペンキでありとあらゆるものが雑然と塗り込められていくようなカオスで満たされ、たちまち会場全体が金縛りのような状態になった。間髪を入れずに次の曲のギターアルペジオが始まる。リフレインのように繰り返されるフレーズは、スネアドラムの一撃によって、ギターリフへと変容する。エレファントカシマシの「明日をゆけ」だ。この日のバンドサウンドのぶつかり合いからは、宮本対その他のメンバーではない、どこまでも対等なものを感じる。べったりとしたコールタールのようなギターの歪みに食い込むように名越のギターが炸裂したかと思うと、その合間にリズム隊、キタダのベースと玉田のドラムが溢れそうになるヘヴィネスをがっちりと制する。宮本の歌声は2曲目にして既に最高のヴォルテージに達しており、ステージ上に掲げられた日の丸の下、シャウトからファルセットまで自由自在に操ってゆく。
「みんなに捧げます」
と言って披露されたのは「悲しみの果て」だった。ギターを置き 身軽になった宮本はステージの隅から隅まで、縦横無尽に歩き歌を届けてゆく。そして「夜明けのうた」へ。わずか数分前まで轟音を響かせていた人間とは思えぬ振り幅に驚かされる。その終盤、いわゆるCメロの箇所〈ああ 町よ 夜明けがくる場所よ/ そしてわたしの愛する人の 笑顔に会える町よ〉では、その音域のスイートスポットがいよいよ極致となり、感情が最も美しい形で昇華されていく。声の波は柔らかく透き通るほどに薄いベールのように広がった。再びギターに持ち替えた宮本、先ほどまでに醸成された穏やかな空気は、ギターのピッキングによるフォーカウントで一変する。Led Zeppelinの「We’re Gonna Groove」のイントロのような、グルーヴとコード進行——。〈うらやましきはカラス共に/ 我が肉食えやと言いたる詩人よ〉一瞬、耳を疑った。 これは——エレファントカシマシの「凡人-散歩き-」ではないか。
2025年9月末に行われた、日比谷野外大音楽堂のライブでも披露されなかったマニアックな選曲に、会場は呆然と立ち尽くすばかりであった。間違いなく宮本は、今まで踏み込まなかった領域に足を踏み入れようとしている。今日は、ものすごい瞬間に立ち会っている——。この楽曲はエレファントカシマシしか演奏できないと思っていた。宮本の生み出すグルーヴ、あるいはそうなる以前の体の微かな動きを完璧に察知し、追従するメンバーによって生み出された唯一無二のうねり、そしてそこに彼らから滲み出る"東京なるもの"。無論、この日の演奏にはそれが全く感じられない。だがその代わりに、余白のない完璧に構築されたグルーヴによって、宮本の表現したかった核のような部分がダイレクトに伝わってきた。楽曲は目まぐるしく展開し、宮本は徹頭徹尾、絶唱を強いられる。ステージ上ではブロードウェイの劇場のように煌びやかな照明が明滅している。終盤〈死んだら 俺が死んだら/ 立派な墓を〉の部分でハッとさせられる。エレファントカシマシにはないブリティッシュな匂い、そしてこの曲は実はキャッチーであるという帰結——。ある種の"聖域"を破壊することでしか手に入れられなかった、新たな一面が垣間見えた瞬間であった。
鳴りやまぬ拍手の中で、アコースティックギターに持ち替え披露されたのはエレファントカシマシの「サラリサラサラリ」だった。やはり、ここでも追従のグルーヴではなく対等のグルーヴを感じる。30年以上前にリリースされた楽曲であるが、宮本に当時を懐かしむような素振りはまったくなかった。むしろ新曲のような新鮮さが感じられた。そして、嗚咽に近いシャウトから「It's only lonely crazy days」へ。歌がなかなか始まらないと思っていたら、
「頭の歌詞忘れちゃったよ……」
と言って、いったん演奏がストップ。頭を抱え、しばらくじっと佇む宮本に会場からは歓声が上がる。しばらくして、舞台袖から歌詞の書かれた紙が手渡され、一瞥してすぐさま仕切り直し。通常ライブの際は、ボーカルの前にプロンプターが設置されるが、宮本はそうした類のものは一切使わない。歌詞を目で追うのではなく、あくまでも自分の内部から湧き出してきたものを信じて歌うこだわり、あるいは矜持だろうか。
楽曲に合わせて明滅するパープル、それからピンクの照明は1970年代のロックバンドのMVのようなノスタルジアを感じる。The Rolling Stonesの「It’s Only Rock ’n’ Roll (but I Like It)」ようにブルージーな曲の温度感は一定だが、その歌声は徐々に熱を帯び〈不粋な showbiz テンパってんじゃん/ 戦争反対 U.S.A〉でピークに達する。あまりにも直接的なメッセージであるが、不思議とプロテストソングには聞こえない。どこまでも滑稽であり、コメディカルだ。エレファントカシマシのライブと言えば、特に野音に顕著であるが、東京を感じる場面が多い。ところが、ここまでのライブはそういった場面はほとんどなく、むしろ、アメリカやブリティッシュバンドの風を感じる。あるいは海外のロックバンドの来日公演を見ているかのような錯覚に陥るほどであった。暗転したステージに真っ白いスポットライトがパッと照らされた。そして、A#のギターコード、「Do you remember?」が始まった。
下を向き、両腕をダラリと垂らした宮本はゆっくりと上体を起こし歌い始める。〈御覧、ガードレールにうずくまる……〉直後、楽曲は1速から5速へとギアチェンジする。〈……ひとりの男あり/ 逆光のシルエット 悲しそう 涙さえ浮かべているのに〉体を地面すれすれにまで前傾させ、次から次へと押し寄せてくる音の塊を、全身全霊、フルスイングで打ち返していく。時おり打ち損じたり、あるいは思わぬ方向に行ったりする場面もあるが、全く気にする素振りは全くない。音は曲が進む毎に凄みを増し、息継ぎをする暇もないほどに追い込まれていく。疾走してゆく歌詞、叩き込まれる2ビート、そして弦楽器のディストーション——。ところが、宮本はそれに屈せず、さらなるスイングを続けるべく、履いているブーツを脱ぎ捨て、床と同化するほどに倒れ込むような格好になって楽曲と対峙していく。〈Do you! Do you! Do you remember?〉——限界を超えてもなお歌おうとするバケモノじみた所業に、ただただ茫然と眺めていることしかできない。ライブはまだ中盤であるが、既に己の全部を使い果たしても構わない。そんな並々ならぬ覚悟を感じた瞬間であった。第1部は「OH YEAH!(ココロに花を)」で終了。既に頭の整理が追いつかない。間違いなく、そのキャリアのハイライトとなるようなライブであることは確かである。(続く)
後編はこちらwww.miuranikki.com
開演前SE
01. Billie Eilish - CHIHIRO
02. Oscar Jerome - Sun For Someone
03. Super Furry Animals - Sunny Seville
04. Nine Inch Nails - As Alive As You Need Me To Be
05. Sonic Youth - Teen Age Riot
06. Jeff Tweedy - Lou Reed Was My Babysitter
07. Daniel Johnston - History of Our Love
08. Eternal Covenant - The Farm Burns
09. The War On Drugs - Suffering
10. Snail Mail - Easy Thing
11. Death Cab for Cutie- Title and Registration
