コンサートはまだ始まったばかりであったが、一寸の余地もないほど濃密な時間が流れていく。観客は一音も逃すまいと、全身全霊でひたすら対峙する。エンターテイメントを超越した神事のような緊張感が場内に充満していた。「ブワァー」と立て続けに数回、「星の砂」のアルペジオの余韻を掻き消すようなシャウトで締めくくってから始まったのは「太陽ギラギラ」だった。スタンダードジャズの「Take Five」を思わせる5拍子の静かなリズム。〈太陽ギラギラ ビルの谷間〉という歌詞は、野音という場所にあまりにも実感をもって鳴り響く。宮本は地面スレスレの高さまで前傾し、絶唱に相応しい叫びを披露する。そして、何かが憑りついているかのように、跪 き床のコンクリートを叩く。コンテンポラリーダンス、あるいは前衛芸術的な挙動。だがその様子は、決して奇をてらおうとしている風には見えない。舞台 と、それを取り巻く空間の流れにひたすら身を委ねた結果、横溢してきてしまった表現といった感じであった。
ギターのスイッチが切りかえられ、会場には潰れたような轟音が突如として鳴り響いく。即興的な単音から地続きに「お前の夢を見た(ふられた男)」が始まる。30年以上前に発表された楽曲であるが、今日の歌声はその当時以上の瑞々しさを感じる。ふと見上げた日比谷の空は、見る見るうちに闇に侵食されてゆく。曲の間奏、Aマイナーから始まるアルペジオが8小節。宮本を起点にしたバンドサウンドに強烈な哀愁を帯び始める。すると、野音を取り巻く一切合切、風の匂い、木々の揺れ、薄青色とオレンジ色のグラデーションの空——これらが強調され、舞台上の彼らの存在が無化されるほどに五感を支配していった。そう、これはまさに、秋を野音に引きずり込む儀式だ——。アルバム『エレファントカシマシ5』から続けて披露されたのは「ひまつぶし人生」だった。
歌詞の中に含まれる"た"の音に若き日の面影を感じる。最近の崩し気味の"てゃ"に近い発音とは違うフォーマルな"た"だ。そのせいか、いつも以上に曲の世界がダイレクトに思い浮かんでくる。働く人たちのイメージは、先ほどまで歩いていた日比谷の歩道、野音の目の前に聳 えるの景色に接続する。〈天皇は死んだ。/ 新聞は書いた。〉昭和末期、あるいは平成初期の時代の移り変わりが表現された楽曲であるが、そこに存在している人々の営みは今も昔も何ら変わっていなかった。終盤では〈みんな大好きよ。エセ平和が大好き。〉という言葉が連発される。従順な日本人の価値観を揶揄するかのようなパンチラインは、今の時代により実感をもって響いてくる。古いけど新しい——冒頭に言い放った宮本の言葉の意味が分かったような気がした。宮本は時事的なものをMCで語ることは一切ない。それは2020年、新型コロナウイルス禍で開催された野音の時もそうだった。その代わり、セットリストにすべてを込める。直接的な言葉ではなく、徹底して曲で伝える美学が垣間見えた瞬間だった。
椅子に腰掛け、アコースティックギター一本から始まったのは「珍奇男」。この曲を演奏するためのいわば型のようなもの。40年近く変わらないスタイルだ。バンドサウンドになると同時に宮本はアコースティックギターを下から脱ぐような格好でエレキギターに変える。まったく無駄のない所作だ。曲は最終的にうねりとなっていき、一つの塊になっていく。東京のオアシスの舞台に蠢 く、得体の知れぬバケモノが生み出されていた。そして「昔の侍」へ。今日のセットリストには隙が無い。まるで、野音という地に一曲一曲を捧げているかのようだ。日はすっかり傾き、虫の声が聴こえ始めていた。夜が、始まった。
周囲の環境音が支配する野音を切り裂くかのように始まったのは「東京の空」だった。ブルーの照明がステージを照らし出す。バンドの一体感は極致の領域に達しており、それぞれのパートは「ハイッ」、「ホッ」という宮本の掛け声に寸分の狂いなく合わせていく。宮本の高音が、空にどこまでも抜けていく。すると、暗闇に浮かび上がったビルの四角い光が目に入る。そして、一瞬のブレイクでは、四方八方から聴こえてくる環境音が強調される。東京とエレファントカシマシとの境目が一切なくなった瞬間であった。虫の声は次第に大きくなり、やがて野音全体を包み込んでゆく。そんな中で始まった「月の夜」。静と動の往来、なんてドラマチックな曲なのだろう。この曲は野音にあまりにも相応しい。秋のひんやりとした風が、樹々をサラサラと鳴らし、肌を心地よく撫でていった。
第2部は、「旅立ちの朝」から始まった。そして「友達がいるのさ」へ。この曲もまた、野音では欠かすことができない楽曲だ。
「ようこそ!日比谷の野音へ!エブリバディ!」
と宮本が言い放つと、場内からは我に返ったかのように歓声が上がる。第1部で張りつめていた空気が少しだけ弛緩したような気がした。観客は思い思いに手を挙げたり、体を揺らしたりしている。〈寝たっていいぜ 後ろでも 立ち止まっても 何でもいいじゃねえか〉東京で渦巻いているありとあらゆるストレスが、弾けては、浄化されていくのを感じる。いつの間にか、涙があふれていた。「悲しみの果て」から続けて披露されたのは「なぜだか、俺は祷ってゐた。」だった。宮本の声は艶やかであまりにも美しい。〈遠くビルの向かうに、光る星に願ひをかけよう〉という部分で視線が野音の向こうにある中央省庁のビルへと移る。そのあまりにもシームレスな接続は、「星の降るような夜に」、「今宵の月のように」と、夜の東京の景色に呼応するような楽曲によってさらに強固になっていく。
「yes. I. do 」、「so many people 」、そして「笑顔の未来へ」——。クライマックスへの布石となるような楽曲が続いていく。ただ、この辺りから何となく、程良く張っていた緊張の糸が緩んできたような感じがあった。決定的だったのは「笑顔の未来へ」でのやり直し。冒頭の弾き語りからバンドサウンドに移行した直後、宮本は
「ゴメン……」
と言って、演奏を止めた。空で歌詞をなぞってから演奏するも、再びやり直し。三度目の正直でようやく最後まで演奏するも、どこか浮ついた感覚はまだ残っていた。彼らのコンサートにやり直しはある意味つきものであるが、この日はいつもとどこか違っていた。
「ズレてる方がいい」、「RAINBOW」。近年の終盤の定番曲が続く。突然、ドラムビートが始まった。「奴隷天国」だ。石森のギターサウンドが途端に歪み出し、バンドサウンドが何段階も厚みを増したように感じる。それに負けじと宮本の歌声の熱量も増していく。〈何笑ってんだよ 何やってんだよ おめえだよ そこの おめえだよ そこの おめえだよ〉——狂気と怒りを完璧に飼いならし、適切なリズムとトーンで言葉を置いていく。やがてメンバー達はステージの中央に結集していく。そして、指揮者のように制す宮本の合図で曲はぴったりと止んだ——。凄まじい音楽的な快楽。不思議なことに、ジャンプスケアの多いホラー映画を観た後のような達成感が体中を駆け抜けた。先ほどまでの祈りの空間は一瞬にして、1人のカリスマを中心にした演説集会の様相に様変わりしていた。再び椅子に座って始まったのは「男は行く」。言葉の一つ一つが野音を取り囲む建物に響き渡っていく。野音にその姿を誇示しているかのような絶唱だ。本編は「ファイティングマン」で終演する。緊急車両のサイレンの音が遠くに消えていった。
アンコールで宮本はMCで、
「野音を特別に思ってくれたみんなのおかげで、ほんとに素晴らしい時間……こういうときにエレカシで野音最後って言ってくれて、俺たちなんて幸せなバンド何だろうって思っています。ありがとう、エブリバディ」
と話していた。MCから地続きに、まさに感謝を伝えるように始まったのは「涙」、そして「待つ男」でコンサートは大団円を迎える。いつものように一列に並び、いわゆる"ストーンズ挨拶"をして彼らは帰ってゆくのだった。特別な演出はない。これが野音の作法だと言わんばかりの爽やかな終わり方だった。あくまでも現行の野音での最後のコンサート。だが今日の彼らからは何か、あらゆる意味で区切りのようなものを感じた。楽曲に"最後の"という言葉が刻印されているかのような——。あるいはそれはエレファントカシマシと宮本浩次との距離感にあるのかもしれない。かつてと同じようなモチベーションは彼にはもう存在していないだろう。実際、この日のコンサートではそうを感じざるを得ない場面が幾度もあった。だが、それでも——東京のバンドは、そして、野音のバンドはやはりエレファントカシマシだった。エレファントカシマシしかいなかった。名にし負ふ、野外舞台に捧ぐ唄。
前編はこちら
セットリスト
01. 夢のちまた
02. 俺の道
03. デーデ
04. 星の砂
05. 太陽ギラギラ
06. お前の夢を見た(ふられた男)
07. ひまつぶし人生
08. 珍奇男
09. 昔の侍
10. 東京の空
11. 月の夜
12. 旅立ちの朝
13. 友達がいるのさ
14. 悲しみの果て
15. なぜだか、俺は祷ってゐた。
16. 星の降るような夜に
17. 今宵の月のように
18. yes. I. do
19. so many people
20. 笑顔の未来へ
21. ズレてる方がいい
22. RAINBOW
23. 奴隷天国
24. 男は行く
25. ファイティングマン
26. 涙
27. 待つ男
