午前中までの雨が嘘だったかのように止み、夕暮れ時の心地の良い風が吹いてきた。会場の東京ドームには開演2時間前に到着したが、既に多くの人が集まっていた。見たところ、30代から40代くらいの男性が多いような印象であった。おそらくは世代的に2006年の『Stadium Arcadium』から入ったものだと推測される。開演1時間前になって、友人Oから到着したという連絡が来た。東京ドームの外周に設置されている広告ディスプレイの前で、Oは待っていた。以前会ったときよりもずいぶんと痩せていた。ダイエットしたにしては少し病的な痩せ方だと思った。話を聞いてみると、仕事のストレスで瘦せたのだという。Oのために喫煙所に寄ってから、周辺を歩く。途中、クレープ屋を見つけた。バナナクリームにイチゴをトッピングしたものを注文する。メニューに"チリペッパー"というものがあり、前にいた客はそれを注文していた。おそらくRed Hot Chili Peppers(RHCP)のライブに行くのだろう。注文の声はどこかうわずり、興奮を隠しきれていない様子であった。出来上がったクレープをほおばる。クレープは腹を満たすために買っているというよりも、幸せを買っているような気がする。開演が近づいてきたので、急ぎ足で会場内に向かう。その途中でもOはまたタバコを一服していた。ちょっと吸いすぎじゃないか、などと言ってからかってみると、
「俺にはこれくらいしか楽しみがないのよ」
などと言い出す始末。
座席はアリーナ席Dブロックの前から3列目。会場のど真ん中であった。SS席であったが、数メートル先にVIP席の案内表示があった。SS席の中でも当たりの部類に入る席である。ただこの位置は、何となく予想はできていた――。ここでチケットについての知見を少し。チケットというのは、申し込み時期が早ければ早いほど、座席が前方になる傾向がある。これまで筆者は幾度となくライブに足を運んできたが、必ずこの原則が適用されていた。一番早いのは、クレジットカード会社の先行申し込み、それからチケット会社の有料会員の先行申し込みである。そこから一般会員の先行1次、2次、3次、そして一般販売になっていく。余談であるが、この"〇次"いうのは数字が増えるほどチケットの売れ行きが芳しくないことが示唆される。あっという間に売れるチケットは大抵、先行1次の段階で売り切れ、すぐに一般販売になる。彼らのライブはキャパシティ5万人の会場である東京ドームで2日間行われる。しかも、片方は平日。数年前にギターのジョン・フルシアンテが復帰したとはいえ、さすがにそこまでの集客はあるだろうか――。
ライブ直前になって、公式サイトのチケット販売状況を見てみると――やはり。平日の2日目が売れ残っていた。ここで公式から買うと当然ながら一般販売枠、つまりSS席においても1階だとか2階スタンド席の後方になってしまう。そこで確認するのが、いわゆるチケットサイトというものである。これは当日行けなくなった人間が泣く泣く出品する(という体裁の)サイトである。もちろん、転売目的の定価以上での販売は違法であるが、定価以下の場合は問題ない。今回の場合は需要よりも供給の方が上回っている状態のため、チケット価格が軒並み下落していた。いわゆる"転売ヤー涙目"というやつである。その中で"こちらのチケットは、マスターカード先行で購入したものです"というチケットを見つける。先ほど書いた原則のクレジットカード会社の先行は一番最初の申し込み順、つまりアリーナ前方席の可能性が高かった。そういった経緯で、筆者はチケットを入手したのである。
しばしば、この手のサイトから買って本人確認があった場合どうするんだ、という人がいるが、ぜひとも安心していただきたい。海外のアーティストの場合、基本的に本人確認ははない。その辺の運用が日本に比べて非常に適当なのである。そもそも本人確認が必要なチケットの場合、購入時に個人情報の登録があったり、事前のアナウンスがあったりするため、その時点で何となく察しが付く。女性名義か男性名義かを心配する人もたまにいるが、本人確認がないのだから、当然ながら名義を気にすることもない。辺りを見回してみると空席がちらほらとあった。それもそのはずで、昨今の円安の影響かSS席のチケット代は手数料を合わせて2万5千円近くしたのである。筆者はその半額のさらに下でチケットを購入したため、だんだんと申し訳なくなってきた。いやはやこれが資本主義というものである。隣にはジョン・フルシアンテ崩れのような男性2人がいた。パーマがかった長髪にサングラスをかけ、無精ひげを生やしている。RHCPの男性ファンはおおむねこれか、ボーカルのアンソニー・キーディスの短パンスタイルに収束する。無論ジョンは様になっているが、日本人がこの格好をした場合、一歩間違えれば町を徘徊する賢者、あるいは仙人になりかねないから注意が必要である。
開演時間になると場内はまもなく暗転し、アンソニー以外のメンバーが登場した。ゆったりとジャムセッションが始まり、ライブが幕を開ける。ジョンのギターに早速痺れる。ギターを弾いているというよりも、枯れた木を泣かせているといった感じのプレイである。ベースのフリーとジョン、そしてドラムのチャド・スミスが中央でものすごい音像を作り上げていく。ジャムは段々と熱量を帯びていき、ピークに達したところで「Around the World」のイントロがかき鳴らされると、アンソニーが舞台袖から軽快に登場した。たちまち演奏が搔き消されるくらいの歓声で会場が包み込まれる。何となく「Can't Stop」だと思っていたので少し意外であった(ちなみにこちらの曲は初日の1曲目で披露されたようである)。アンソニーの声の調子が気になっていたが、序盤はあまり声が出ていないように思えた。少しもたっているというか、演奏からワンテンポ遅れて発声しているように聴こえてくるのが気になった。そのまま『Stadium Arcadium』のキラーチューン「Dani California」に突入すると、会場全体はさっそくジャンプし始め、オレンジ色のマーブリングのようなグニャグニャと動く映像効果と相まって一挙にカオスな空間が作り上げられていく。この日のアンソニーは上半身にはメッシュのトップスを着ており、膝を悪くしているのかサポーターのようなものを巻いていた。
この日釘付けになったのはやはりジョンである。彼のギターは、速弾きのフレーズはあまりなく、むしろ単音やチョーキングの効果が非常に効果的に使われる。決して難しいことをしているわけではないのだが、あの音の分厚さと、独特な枯れ具合はいったいどうやっているのだろうか。現代の三大ギタリストの一人などと言われる理由が何となくわかった気がする。ライブ後半、「Pararel Universe」あたりになってくると、アンソニーの声がだんだんと本調子になってきた。序盤にあったリリックとビートとの僅かなズレが寸分の狂いなくはまってきている。盤石のバンドサウンド、そこにアンソニーの小気味いいフローが次から次へと乗せられ、スクリーンには極彩色が流体のようにうごめく映像効果が映し出される。ものすごい空間。続いて「Suck My Kiss」。曲が始まる直前、メッシュのトップスを脱ぎ捨て、アンソニーはいよいよ"本気モード"に。この曲は間違いなくこの日のハイライトであった。彼らのキャリア序盤のファンキーなお家芸ともいえる楽曲。ジミ・ヘンドリクスをなぞらえた独特なコード感のギターフレーズがさく裂する。終盤は、演奏隊が観客を背に向き合いながら、スタジオセッションのようなストイックさで"極み"にもっていく。本当に気持ちが良い。Oはこの曲が好きだったようで、珍しく声を上げて興奮していた。
ライブはアンコール、「Under the Bridge」そして定番の「Give it Away」へと続く。「Give it Away」はスタジオ盤の方を聴くと、バースの〈Give it away give it away give it away now〉の繰り返しがやや冗長な印象があるが、ライブで演奏されると特に終盤のアレンジがトリッキーになっていて非常に良かった。白いキャップを被ったアンソニーは、恐ろしいことに30歳くらい若返っているように見えた。曲が終わると、メンバーは一言残して颯爽とステージからはけていった。あまりにも潔い終わり方。刹那、凄まじい満足感がやってきた――。官能的ながらスタイリッシュ。肉体の躍動を通じて生み出されるとてつもないグルーヴと音圧に、ひたすら圧倒され続けた1時間40分であった。その間のMCは一切なし。上半身裸でグルーヴを生み出す男たちを観ていると不思議なことに、バンドというフォーマットが生まれるはるか昔のとライバルな"祭り"を感じる一幕もあった。初日のセットリストを見てみると、前日とは大きく異なったものになっていた。これなら2日行けばよかったと思ったりした。帰りは後楽園駅構内にあるセレクトショップでクラフトビールを買ってから、マクドナルドのポテトをつまみにビールを飲む。電車の中は思いのほか空いていた。ついでに、行きつけの中華料理屋に行く。ビール、餃子、それから最後にラーメンと中華丼を頼んだ。食べ過ぎた。今日のライブの感想について話をする。やっぱりバンドは最高だ。
セットリスト
1. Intro Jam
2. Around The World
3. Dani California
4. The Zephyr Song
5. Here Ever After
6. Snow (Hey Oh)
7. Eddie
8. Hard to Concentrate
9. I Like Dirt
10. Parallel Universe
11. Reach Out
12. Suck My Kiss
13. Californication
14. Black Summer
15. By The Way
アンコール
16. Under The Bridge
17. Give It Away