一緒に来ていた友人Eとは座席が違っていたため、途中で別れる。EというのはRadioheadの熱狂的なファンであり、その容姿や動き、さらには歌声までトム・ヨークにそっくりであった。そんな彼から誘いを受け、ライブに行くことになったのだった。エスカレーターを上った先にある座席は会場の一番上の階層にあった。思っていた以上に、ステージからの距離を感じるが、音が聴ければそれだけで十分だと思うことにする。前方席に座っている会社の同僚と思しき人たちの会話が入ってきた。
「○○さんの次はどちらのライブに?」
「次は突然段ボールですね――」
突然段ボール――。なんだろうと思って調べてみたら、そういう名前のバンドがいた。これまでに全く聞いたことのない文字列だった。おそらくこの会話を聞かなければ一生聞くことがない単語だったかもしれない。開演時間が近づくにつれ人が増え、あたりを見回してみると一番上の階層の隅まで人が入っていた。
17時を過ぎたところで会場が暗転しライブはスタート。まず始まったのはアルバム『In Rainbows』から「Weird Fishes/Arpeggi」であった。ドラムビートが際立つスタジオ音源とは異なり、ビートがまったく排され、アコースティックギターのアルペジオのフレーズのみが繰り返される。そのため、はじめは何の曲なのかわからなかった。シンプルな音にトムの幻想的なファルセットが絡みついては消えていく。トムは長髪に髭を蓄えた"仙人"のような風貌であったが、それがとても美しい。枯れていく美しさがそこにはあった。6曲目の「Jigsaw Falling Into Place」は、この日のハイライトと言っても過言ではなかった。アコースティックギターでイントロのフレーズが弾かれると、会場からはどよめきが起こる。間奏の部分で、熱狂的な叫び声が聴こえた。あれは……間違いない……Eの声である。その声に追随するかのように、各所でちらほらと叫び声が上がった。この自ら行かずに牽制する感じがいかにも日本の観客という感じである。無論、Eも日本人ではあるが、音楽体験において羞恥などなかった。前編の方でも書いたように、MUSEのライブに銀色の前身タイツで参加するような男であった。
アンビエントかと思えば、一転してアシッドなビートが流れたりと、特異な空間が作り上げられていく。会場のバランスの取れた音響とスクリーンに映し出される映像効果が相まって、その世界に没入していく。トムはステージに並べられたいくつものシンセサイザーを移動しては次々と音の波を造り出していく。クネクネした独特の動きはまだまだ健在であり、この日も随所にそれが見られた。そして何よりもトムの歌声がすばらしい。まさに声そのものが楽器だった。勝手に不摂生のイメージを持っていたが、健康的 な生活をしているのがその声から伝わってきた。Eいわく、トムはベジタリアンなのだとか。随所に一言二言「どうも」やら「ありがとう」やらと呟く(この日本語は非常に滑らかであった)だけで、MCは一切なし。どこまでもストイックに音楽を届けていく。アンコール、ラストはアコースティックギターによる「Karma Police」が演奏されると、会場はこの日一番の歓声が上がった。例によってここでもEと思われる叫び声が会場に響き渡る。それもそのはずで、後々確認してみたら、今回のツアーでこの曲が演奏されたのは幸運なことに今日だけだったのである。ギター一本で、バンドと遜色のないほどの厚みを感じる。むしろ、これを完成形としてもまったく違和感がないと思えてしまうほどであった。
「今日はテンションが上がって、突然歌い始めるかもしれません――」
ライブが始まる前Eはこのように言っていたが、さすがにそれはなかった。とはいえ、随所で聴こえた声に相変わらずEの存在感を感じた。下のフロアでトムさながらの動きをして聴いていたであろう姿が目に浮かぶ。ライブが終わって東京ガーデンシアターの大階段付近で待ち合わせしていると、Eが興奮冷めやらぬ足取りでやってきた。その隣に男性がいた。ライブが始まる前、有明ガーデンのH&Mで高校時代の友人にTシャツを買っていたが、それがその人物なのだという。
「はじめまして」
「あ、どうも……」
彼はEとはまた違ったベクトルのニヒルな雰囲気を醸し出していた。Eと同様、黒いコーディネートであるのがより一層それに拍車をかける。有明駅、有明テニスの森駅それぞれに分かれる交差点まで歩く。わずか数分であるが、何十分にも感じる。帰りの方角が違うため、彼とはそこで別れる。その姿が遠くに消えていくと、Eは弁解し始めた。
「いやー、さっきの人、悪い人じゃないんだけど、怖いっすよね。そう、怖いんですよ。でも、なんていうかねー、悪い人じゃなくってね――」
必死である。なんでも高校時代、違う学校であったものの、音楽好きという共通項で仲良くなったのだという。そういう関係が今でも続いているのは素敵だと思った。
今日は、筆者の誕生日プレゼント(昨年分かつ誕生日でもない)だといってEがご馳走してくれることになった。筆者の誕生日(?)とはいいつつ、Eが気になっていたというステーキの店に行く。ベジタリアンのアーティストのライブを観た後に肉、である。しかも塊の肉、である。店内は空いていた。テレビでは「世界の果てまでイッテQ」が放映されている。Eがチャンネルを変えると、今度は野球の国際試合の様子が映し出された。それからNHKニュースに変える。ステーキは250グラムのものを注文した。赤のワインも頼んだ。店内はとてもいい雰囲気だった。店員が話しかけるわけでもなければ、まったく無関心というわけでもないバランスがいいと思っていたら、Eも同じことを言っていた。しばらくすると脂が弾ける鉄板にほど良く焼けた赤身肉がやってくる。ナイフで切り分けながら思い切り頬張る。BGMには斉藤和義の「やさしくなりたい」が流れている。店を出て、近くのカラオケ屋に行くことにする。まもなく12月、外はすっかり冷え込んでいた。Eは、
「Radioheadはもう、致死量になるほど聴いたので……」
という訳の分からない理由でこれまであまり歌ってこなかったのだが、この日は違った。数時間前に聴いた「Jigsaw Falling Into Place」が再び部屋のスピーカーから流れる。やはり、彼はRadioheadを歌うと様になる。もはや、そのものである。帰ってから、Eに対する先ほどの謝辞と撮った写真を送る。トム・ヨークみたいな人と、トム・ヨークを観に行った話。いやはや、これはもはやライブレポートではない……。
Setlist
01. Weird Fishes/Arpeggi
02. Pyramid Song
03. A Brain in a Bottle
04. Packt Like Sardines in a Crushd Tin Box
05. Glass Eyes
06. Jigsaw Falling Into Place
07. Nose Grows Some
08. I Might Be Wrong
09. Videotape
10. Back in the Game
11. Volk
12. Daydreaming
13. Black Swan
14. Follow Me Around
15. Dawn Chorus
16. Airbag
17. Atoms for Peace
18. Not the News
19. Idioteque
Encore
20. All I Need
21. Cymbal Rush
22. Karma Police
「Jigsaw Falling Into Place」を歌う友人E