三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

父と山に登った日のこと――鳥海山をゆく 後編

鳥海山登山は、いよいよ終盤に差し掛かってきた。相変わらず父は、平地の道を進むかの如く平然と登ってきている。上半身は無駄な肉が削ぎ落されている一方で、それを支える足腰は強靭だ。まさに、山を登るために最適化された体であるといえる。身に纏っている装備品(ギア) にも無駄がなく、新旧の代物が的確な位置と大きさで体と同化していた。父は言う。
「上半身に筋肉が付きすぎると、それだけで数キロの重りになってしまうがらな。必要以上の筋肉はいらねんだ。太腿と足、それから"股関節"が大事だ――」
"逆"ボティビルダー的発想というか、あるいはクライミングをする人の思想にも近いのかもしれない。一方で息子の方はというと、山の厳しさにこれでもかと打ちのめされ続けていた。岩の大きさや位置は不規則であり、20回に1回のペースでルートの選択ミスを重ねていく。これは明確なミスというよりも、もっと良い選択肢があるのに、より大変な方を選んでしまうといった具合である。そうした場面が1000回積み重なればミスの方も50回になる。たかが50回、されど50回。だんだんと、股関節に違和感が生じ始めた。これが鳥海山か――。それに比べ、以前登った秋田駒ヶ岳なんて可愛いものではないか――。

 

そうしてヒーヒー音を上げていると、向こうの方から小柄なご婦人が颯爽とやってきた。白髪のショートヘアーで、全身をフランスのメーカー、MILLET(ミレー)で固めていた。こんにちは、という声は非常に上品で、息はまったく切れていない。そこには閑静な住宅地を犬と散歩しているようなトーンさえあった。先ほどまでこの岩場を登り、そして今下山しているということか。いやはや、恐るべし――。再び後ろを振り返ってみる頃には、"ミレーのご婦人"は既に下の方へ消えていってしまっていた。

 

途中で鉄梯子がかかっている場所が何か所かあった。赤錆色をしていて、一歩登るたびに、ギイギイと嫌な音を立てる。やがて緩んでいたボルトが取れ、足を踏み外し、あるいは梯子が外れ断崖絶壁に宙づりに……などというスリラー映画でありがちな展開はなかったが、独特な緊迫感がそこにはあった。一歩踏み間違えれば、間違いなく大怪我になる――。そんな梯子を何とかして上りきると、いよいよこの日の目標としていた七高山の頂上が見えてきた。標高2000メートルを超え、酸素が薄くなってきたのか、息はすっかり上がってきている。ただ、ゴールが見えてくると、自然と足の動きも軽快になってくるものである。
「あともう少しだ。頑張れ」
と、後ろにいる父から、箱根駅伝の監督ばりの応援が飛ぶ中、12時を少し過ぎた頃、七高山頂上、標高2229メートル地点に到達する。秋田と山形が、地図のように俯瞰した形になってはっきりとみえた。日本海の先の地平線はどこまでも続いている。吹きすさぶ風はどこまでも冷たい。ここから、7メートル高い新山へ続くルートがあるが、この日は筆者の体力が考慮され、そのまま下山することになった。ちなみにそのルートとは100メートルほど下にある鳥海山大物忌神社の御本社まで一度降りてから、そこから登るというものである。

 

先ほどと同じ道を下っていく。15分ほど経った頃、異変が生じる。先ほどまで違和感だけであった右の股関節に痛みが生じ始めたのだ。平地ならばまだ誤魔化がきくが、ここは山である。不規則な岩の形に対して、不規則な位置とリズムで足を置くことを強いられるためそうはいかない。痛みは指数関数的に大きくなってくる。父から痛み止めの錠剤をもらい、何とか足を踏み出していく。それでも痛みはまだまだ止むことはない。岩場の一番厳しい場所を何とか乗り越え、安心したのもつかの間、この後は石畳の道が延々と続く。時間は刻一刻と過ぎていく。
「ほら、リュック寄ごせ。少しでも軽い方がいい――」
そう言って父は、筆者のリュックサックを自分のリュックサックに紐で括り付けた。
「……ありがとう」
それでも一歩進むたびに、股関節に強い痛みが走った。石畳の道が永遠に終わらないように感じる。足を前に出すということだけを考えて、ひたすら下る。景色など見ている余裕もない。どこかを庇っていると、体のバランスが崩れるせいなのか、しばらくすると膝の方も痛くなってきた。

 

石段は、まだまだ続く。父はずっと先の方を歩いている。登るときには追い越していった登山客も、続々と自分の先を行った。己の体と山との一対一の戦い。ふと、藪の道に差し掛かった時、途轍もないくらいの不安を感じた。自分の呼吸音とウェアが擦れる音、そして一歩一歩踏みしめる音。そこに時おり草がカサカサと揺れる音だけが聞こえている。誰もいない世界に一人取り残されたかのような感覚だ。視線を落とすと、クマの糞が落ちていた。茂みから目の前にクマが出てきたら、おそらく自分は逃げることはできないだろう。徐々にではあるが、あたりはもう、夕暮れ時になろうとしていた。

 

藪の道が開けてくると、父が待っていた。ほんの刹那の孤独であったが、永遠に感じられる孤独。そこから抜けた瞬間というのは、自分でも驚くくらいに安堵したのだった。五合目の駐車場が小さくではあるが見えてきた。痛めている股関節の代わりに腰を使って前に前に進めていく。
「あともう少しだ――」
やがて石畳からコンクリートで覆われた道に変わる。西日のオレンジ色が盛んに照り付ける頃、ついに登山口に到着した。全身の力が抜け、疲労と達成感が同時に襲ってきた。先ほどいた頂上はずっと先に見えており、雲がかかっている。
「行って帰って来れただけでも今日は十分だ。いがったな」
上がらない足を手を使って何とか持ち上げ乗車する。鳥海山を背に自動車(くるま) が走り出す。鳥海ブルーラインを下り、地上に降りる。稲穂が夕日を浴び鮮やかな色を帯びている。その背景には再び雄大な鳥海山が見えた。車内には、行きの時と同じく矢沢永吉の曲が流れていた。

黄昏てく…街よ
悔いはないか? 今…

地平線に…残された
美しき空のはかなさ

矢沢永吉 - いつの日か

歌を口ずさみながら運転する父をみて、まだまだ及ばないと思った。鳥海山、心の山に登った日のこと。

 

www.miuranikki.com

 

父の後ろ姿を捉えた一枚。