三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

美しい国の末路

2022年7月8日、今日は、忘れられない一日になりそうだ。正午過ぎ、信じられないニュースが目に飛び込んできた。安倍晋三元首相が撃たれた――。街頭演説中、背後から銃弾を2発受け、午後3時時点、心肺停止の状態になっているという。犯行に使用されたのは散弾銃とのことで、これは生還が絶望的かもしれないと直感している。あるいは、生還したとしても——飛散した銃弾が除ききれず身体の内部に入り込むことで、致命的な後遺症は免れないのではないだろうか。

 

伊坂幸太郎の『ゴールデン・スランバー』では首相が暗殺され、主人公が濡れ衣を着せられ奔走するが、そんなフィクションのようなことが現実になってしまった。違っているのは犯人がすでに現行犯逮捕されているということだけ。軍部が台頭してきた戦前、そして日米安保闘争をはじめとした混乱が生じた戦後間もなく、それから高度経済成長期を経て数十年、政府要人の血生臭い事件とはすっかり無縁の世の中になった日本において、これはあまりにも鮮烈な出来事であった。日本は戦争やテロとは無縁で平和、あるいは治安の均衡が保たれているというのは、だだの思い込みだったのかしれない。バランスブレイカーのようなものは実はどこかに常に潜伏していて、何かきっかけにそれが限界値を迎え横溢し、今回のような事件が引き起されたことで、そうした思い込みからくる脆弱性が、ただ露になっただけなのかもしれない。

 

どうもこれからの日本の民主主義だとか、ありとあらゆる常識が変わっていきそうな気がしてならない。それも悪い方向に向かって。ウイルスの世界的なパンデミックは、医療が発達した現代においてはほぼフィクションのようなものであった。ところが2020年、それが現実に起こった。かつてのフィクションだった事態に対応しきれず、日本人を乗せた船の舵は、残念ながら悪い方向に切られている。政治家の襲撃事件もまた、日本にとっては実感の薄れたフィクションであったが、今回、現実に起こってしまった。舵はさらに悪い方向へと切られつつある。その果てには——衰退一直線の断崖絶壁の滝が、じっくりとその到着を待ち構えている。

 

安倍晋三はいわば、日本の"顔"たる存在であった。いつかのバラエティ番組で、有名人の認知度調査なるものが行われた際も、老若男女問わず、ほとんどの人がその存在を認知していたのを覚えている。思想や心情などは抜きに、一国の首相というのは、語弊を恐れずにいえば、日本というものを形成する"イメージ"、あるいは"象徴"的な側面もあるように思える。もし、もしも仮にこのまま亡くなってしまった場合——政治家時代の功績がたたえられ、神格化とまではいかないが英雄的な扱いになるのだろうか。犯人はそうなることを望んでいたのか。犯人はかつて海上自衛隊に所属していたというが、一体何をしたかったのだろうか。そのような背景的な部分に関する調査が、一刻も早く望まれる。断崖絶壁の滝に落っこちないようにするには、そうした事件に対する向き合い方も重要なファクターになるはずだ。

 

このニュースを取り巻いている決して他人事にはなれない感情は、もちろん、一国の元首相であるという知名度の高さからくるものもあるかもしれないが、それ以上に人々の生活の中に政治が知らず知らずのうちに内在しているということの方が大きいだろう。今日、日本人は誰かに出会えば、元首相襲撃事件について話すだろう。いや、話さずにはいられない。自分自身に内在する政治的なものが喉元からぬるぬるした生き物のように押し寄せてくる、そんな一日になるはずである。

 

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