三浦日記

音楽ライターの日記のやうなもの

エレファントカシマシのオマージュに関する考察Ⅰ (まえがき)

かつて、誰かが言っていた。エレファントカシマシは日本のロックバンドではなく、日本のロックバンドはエレファントカシマシである、と。

 

寸分の狂いもない、見事な形容だと思った。ただ、彼らの楽曲を聴いているとどうも、海外の音楽の影響を強く感じる。別段、否定をしているわけではない。そもそも、"ロックバンド"という体裁は日本発のものではないことは明らかで、西洋的なものが前提として内在している。これは、日本語を母語、あるいは日本にアイデンティティを持つ者にとっては、多かれ少なかれ意識せざるを得ない要素である。

 

エレファントカシマシからは、それらを自覚した上で、どうにか日本的なものを組み込もうと格闘する気概が感じられる。かつて、ジョルジュ・ビゴーが洋装の日本人を「猿まね(Imitation)」であるとして風刺画を描いたが、それは単なる模倣であったからに過ぎない。彼らの場合、洋楽をオマージュとして自身の表現に落とし込み、自国のアイデンティティを損なうことなく、日本的なものとして昇華させている。模倣で完結していないのだ。それを踏まえたうえで、冒頭の命題が真といえるのだと筆者は考える。

 

エレファントカシマシの海外の楽曲のオマージュは、デビューアルバムの『THE ELEPHANT KASHIMASHI』(1988)から、最も新しい『Wake Up』(2018)にいたるまで随所にみられる。ある特定の時期に集中している、などではなく、こういう言い方はどうかとも思うが、どの時代もコンスタントにオマージュをしている。そしてその度合いも、実に多岐にわたっている。参照元であろうイントロをアレンジしたものから、楽曲のミックス、さらにはコード進行をそっくりそのまま模した楽曲まである。

 

参照元の時代やジャンルも様々、そこからはある意味、作曲者の宮本浩次(それに応えられる他のメンバーの含めて)が、いかに幅広い視野を持っているかということがうかがえる。今回の記事では、宮本がインタビューの中で明言していたものから、明らかに特定の楽曲を意識して作られたと筆者が感じたものまで、ひと通り、時系列順に羅列していきたい。彼らのキャリアをおおむね3つに分け(1988-1999年、2000-2009年、2010-2018年)、順に書いていくこととする。また、この記事を読まれた方で、他にもこんな曲をオマージュしている、という楽曲をご存じの方は、ぜひとも教えていただければうれしい限りである。記事は後日順次、公開をしていく予定。


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