ある一羽の不死鳥がいた。不死鳥は、天寿を迎えると燃え盛る炎の中に飛び込み、たちまち灰と化してしまう。だがしばらくすると、灰の中から再び産声を上げ、生まれ変わった不死鳥は大空に向かって再び大きく羽ばたいてゆく——。筆者はふと、この話がエレファントカシマシを表しているように感じた。前作『MASTERPIECE』は、不死鳥でいえば、天寿を迎え、いよいよ灰になろうとしている段階であった。翼は煤でくすみ、何よりもその姿は疲弊をしている。これが単なる形容ではないというのは事実、この作品がリリースされた2012年、宮本は突発性難聴を患っており、バンド活動の休止を余儀なくされた。それから約1年後の2013年、宮本は復活を遂げるが、その前後というのは彼にとって大きな変化がみられた時期である。というのも、それまで歌声にまみれていた錆がすっきりと落とされ、きらきら光沢を放つ"新しい"歌声になったのである。"進化"でも"上達"でもなく、"新しい"歌声。これは齢50を目前の宮本にとって実に大きな転換点であった。
『RAINBOW』は不死鳥でいえば、灰の中から再び産声をあげた段階(リボーン)であるといえる。それを象徴しているのが、2曲目「ズレてる方がいい」から「愛すべき今日」へ続く流れである。「ズレてる方がいい」は、今作では唯一のバンド活動を休止する以前(2011)にレコーディングされた楽曲であるが、やはり声に張りがないように思える。高音部分には淀みがあり、どこか無理をしているような印象さえ受けてしまう。だが、続く「愛すべき今日」(2015年シングル盤リリース)では一転、伸びやかさと力強さを持ち合わせた歌声が脳内を突き抜ける。淀みがすっきりと流され、歌声には活力にみなぎり、透明感さえ感じられるのだった。
本作で再生(リボーン)を果たした宮本(エレファントカシマシ)であるが、バンド活動の休止を経たことで、"静"と"動"の二面性がこれまで以上にはっきりと楽曲に落とし込まれている。まずは"静"の部分についてであるが、ファルセットによる歌唱がその最たるものである。これまでの作品でも、ファルセットが使用されることがあったが、「昨日よ」や「なからん」のように、楽曲全編を通して、しかも作品内で複数曲にわたる使用は、他作品に類を見ない。図ってか、図らずしてか宮本が休止期間中に獲得した"静"の部分。それは時折、人間を超越したような歌声にまで昇華されている瞬間さえあった。無論、歌声自体は人間のものであることは確かなのだが、シャーマンのように何か超自然的なものが憑依しているような感覚に近い。そこにはもはや言葉など必要ない。歌詞にならない叫びだけで十分であった。楽曲には便宜上歌詞が挿入されるが、あくまでも便宜上のものであり、作品を構成する凄みは、宮本が獲得した"静"の表現そのものであるように思ってしまった。
続いて"動"の部分ついてであるが、これについては、表題曲である「RAINBOW」が強烈なパワーを放ちながら主張してくる。宮本は序盤から、まくしたてるような歌唱でサウンドにアプローチをしていくが、言葉はこぼれることも、さらには遅れることもなくぴったりと付随していく。また、その歌声にはノイズが混じっているが、2012年頃までの掠れを伴ったノイズとは質が異なり、純粋な声帯の力強い振動によって生じたものへと変化している。そこからは辛さや疲労感ではなく、何かそれ以上のものを真正面から受け止めているような凄みさえ感じられる。老いや近づきつつある死というもの、そこからくる焦り——50歳を迎えようという宮本が出した答えは、それらをありのままに受け入れ、叫びとして表現することであった。宮本の歌い方やサウンドはもちろん、精神的な面が今作品の"動"の部分を構成しているように思える。
ここまで、"静"と"動"の二面性について述べてきたが、再生(リボーン)したこの頃のエレファントカシマシは、楽曲の内部的なものについて言及する必要があるだろう。というのも本作は、ベックの『Sea Change』(2002)からの引用を、かなり意図的に行っているように思えるからだ。これまでも宮本は、他アーティストのコード進行や構成に近づけた楽曲を度々作ってきた*1が、一つの作品からいくつもの曲を引用するのは珍しい。例えば「昨日よ」は「End Of The Day」であり、「雨の日も風の日も」は「Round The Bend」、そして「あなたへ」は「Guess I'm Doing Fine」といった具合で、いずれの楽曲も『Sea Change』の骨子の部分が色濃く感じられる。また、アルバムには未収録だが、シングル『あなたへ』のカップリング曲「はてさてこの俺は」もやはり「Lost Cause」と曲の構成とコード進行に近いものを感じ、宮本がこの時期いかにベックに傾倒していたかがわかる。
なぜ、宮本はこの作品を『RAINBOW』に落とし込もうと考えたのか。目立って「なからん」に関しては、各楽器のサウンドからストリングスに至るまで「Lonsome Tears」と聴き違えてしまうほどのものであり、宮本の歌声が乗ってようやく気が付くといっても過言ではない。そのため、今回のオマージュは無意識的な反映ではなく、やはり意図的なものを強く感じてしまう。ここからは、あくまで筆者の推測だが、何よりも宮本の表現したいコンセプトに合致したからというのが、その理由であったように思える。ただこれは、一歩間違えれば、オリジナリティが損なわれかねない紙一重の試みである。だが本作は『Sea Change』が先行するどころか、再生(リボーン)したエレファントカシマシという存在の証明するために、その世界に引用元を引きずり込んでいるような印象さえ受ける。バンドの歴史、作曲者そして歌い手である宮本浩次のこれまでの人生はいよいよ音を鳴らすだけで表現されてしまう境地に来たということなのだろうか。オマージュは添え物であり、結果論——。本作からはそこまでの説得力が感じられるのであった。
"静"と"動"の二面性の話に再び戻すが、先ほどまでは宮本の歌声から両者を述べてきた。今度は、サウンド面の変化に関する指摘をしたい。本作では、全編を通してべったりと潰れた歪みが多用されるが、これはエフェクターの一つの"ビッグマフ"に特徴的なサウンドである。ライブでも宮本のエフェクターに注目してみると、2013年頃からビッグマフが使用を確認することができる。これまでの彼らのサウンドは、バンドサウンドの融和の追求であった。メンバー(個)は決して主張することなく、エレファントカシマシという巨大概念に吸収されていく。それはフロントマンである宮本も同様である。バンドサウンドは、キャリアを追うごとに一体となっていき、特に『悪魔のささやき~そして心に火を灯す旅~』、そして『MASTERPIECE』にはもはや個は存在せず、エレファントカシマシという屋号のみが佇んでいる状態であった。だが今作のバンドサウンドというのは、これまでのベクトルとは異なっていて、融和というよりは、二面性の強調であるように思える。"静"と"動"それぞれは際立ち、宮本の歌唱はそのコントラストをさらに助長させるのであった。
耳の病気を克服した宮本が獲得した"静"と"動"の歌唱、ディストーションサウンド質の変化、そして随所に見られるオマージュ。これまでの作品からは分断された、新生エレファントカシマシ。これは2007年のユニバーサルミュージックレコード移籍以降で積み上げてきた、商業的な一面と、予定調和的になりつつあった曲の構成を打破するものであったように思える。エピックレコードとの契約が切られた末に生み出された『ココロに花を』(1996)、そこに収録された「悲しみの果て」の切実さ、東芝EMIレコードとの契約を切られ、再スタートの『STARTING OVER』(2008)、そこに収録された「俺たちの明日」の潔さ、粋——。彼らはこれまでも幾度となく、不死鳥のように蘇り、その度に途轍もないパワーを内在させたものを生み出してきた。『RAINBOW』もまた、その一つであるが、今回の場合はエレファントカシマシのこれまでのイメージを全く新しいものへと塗り替えるほどの作品となったと言えるのではないだろうか。
Track Listing
01. 3210
02. RAINBOW
03. ズレてる方がいい
04. 愛すべき今日
05. 昨日よ
06. TEKUMAKUMAYAKON
07. なからん
08. シナリオどおり
09. 永遠の旅人
10. あなたへ
11. Destiny
12. Under the sky
13. 雨の日も風の日も
*1:初期の楽曲の一例でいえば、「星の砂」がBad Companyの「Rhythm Machine」、また2000年代以降では、「ハナウタ~遠い昔からの物語~」がダニエル・パウターの「Bad Day」のオマージュというのが非常にわかりやすい一例として挙げられる。ちなみに、『RAINBOW』の次作である『Wake Up』に収録されている「自由」は、ベックの「I'm Free」のサウンドのミックスや楽曲の構成が強く意識されている。タイトルに関してもかなり意図的なつながりを感じてしまうのは筆者だけだろうか。