三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

ラジオ体操の夏

7月下旬、午前7時、この日も少年は眠い目を擦らせながら、なんとか起きることができた。

「もう、勘弁してくれよ」


小学6年生になると、町内会の班長という、いわゆる生徒代表のような役割があった。少年の住む町内に、彼の同級生は誰一人としていなかったので、その役割は自動的に少年に当てられることになった。それが名ばかりならまだ良かったものの、町内会の班長は夏休み中、ラジオ体操に行ったことを証明するカードにハンコを押すという仕事があった。


少年は、ひとつあくびをして、ラジオカセットをカゴに積んで自転車を走らせた。春に新しく買ってもらった、黒色のマウンテンバイクだった。家を出てすぐのところにある田んぼは、稲がのびのびと繁り、濃い緑色の絨毯のようになっていた。しばらく自転車を走らせていると、川沿いの道に差し掛かった。朝日はまだ、山の陰に隠れていて、あたりはぼんやり薄暗く、少し霞みがかっている。


道路の脇には欅(けやき)の木が並んでいて、風が吹くたびに枝葉はさらさらと音を立てていた。その間からは、ゆるやかな川のせせらぎが見える。少年はこの道を通るたびに、欅の合間から見える川の様子をみた。水は透き通っていて、川底の石のぬめりや、朽木に繁茂したコケの揺らめきまで、はっきりと分かるようだった。ここ数日雨が降っていなかったせいか、水嵩はちょっとした中洲ができるくらい減っていた。


ときおり、鳥のさえずりが、川を挟んだ山の方角から聞こえてくる。さえずりは、自然の障害物によって反響しているせいか、角が取れ、柔らかい高音域に変化していた。少年はそんな自然に身を委ねながら、ひたすらペダルを漕いだ。ひんやりした風と、少し湿った空気の匂いが混ざり合ったものが、その呼吸に合わせて染み渡ってくるのだった。


公園に到着すると既に、地域の住民や、子どもたちがちらほらと集まり始めていた。少年は自転車のカゴに乗せていたラジオカセットを持って、公園の中央にあるベンチに乗せた。朝露のついた地面によって、瞬く間にサンダルは湿った。ベンチの影になっている茂みからは、夜の余韻に浸っているかのように虫が鳴いていた。


時刻はまもなく7時半になろうとしていた。少年はラジオ体操の局に周波数を合わせた。するとまもなく、威勢の良い男性アナウンサーの声が聞こえ、虫の音は強引にかき消された。意気揚々とした「ラジオ体操の歌」が、音割れしながら公園に響き渡る。そして、間髪を入れずに、ラジオ体操第一、第二と、決まりきったルーティーンのような流れ作業が続いていく。その間、少年は前に立って、お手本の役をやらなければいけなかった。最初は恥ずかしげな様子であったが、回を重ねるごとに、吹っ切れたのか、その動きは実にきびきびとしたものだった。


ラジオ体操が終わると、少年は"ラジオ体操カード"をぶら下げた子どもたちに、ハンコを押していく。何かを集めるというのは、人間の性の一つである。スタンプを集めて何かを貰ったり、集めること自体に達成感のようなものを覚えてしまうのだ。では、このラジオ体操カードが還元してくれるものは何か。それは、"健康"である。少年の目はいつのまにかすっきりと冴え、町内会の班長という大役を果たした達成感に満ち溢れていた。公園にはこの日、一番最初のアブラゼミの声が響き渡っていた——。