三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

ある元旦のこと

12月31日

早朝、飛行機で秋田へ帰省した。この季節にしては、珍しい雨模様だった。秋田市の少し外れたところにある実家に着くやいなや、母の面持ちはどこか神妙だった。祖父の容態があまりよくないという。余命は一週間。11月に入ってから、入退院を繰り返していたという話は聞いていたが、12月の下旬になってから容体が急変したらしい。不意を突かれた。夏に会ったときには、少し痩せてはいたものの、まだ元気であったからだ。窓の外の雨は、いつしか横なぐりの雪へと変わっていた——。

 

午前11時を回ったころ、祖母とともに病院に付き添っている叔父さんから連絡が入った。母と自分の顔が曇る。しかしながら、その内容は前向きなものであった。食事をしっかりととり、祖母や叔父の呼びかけにもしっかりと応答をし、言葉もいくつか話すという。我々は少しだけ安堵をした。

 

不思議なことに、祖父が入院したという11月頃、祖父の夢を見たことがあった。夢に出てくるその顔は生気に満ち溢れていた。自分が幼いころの、元気だったころの祖父だった。自分が今現在、音楽について論評していることについて、色々と話をしたような気がする。

 

年越しは決まって、父の作るおでんだった。家族一同、気丈に振舞いながらも、どこか不安が渦巻くような年越しとなった。

 

1月1日

元旦は、とてもよい目覚めであった。昨日から降っていた雪は積り、大晦日に似つかわしくない雨模様の早朝から一転、まるで帳尻合わせをしたかのように、東北の冬を演出していた。朝食をとった後、自部屋でギターを弾いていると、昨日のように再び母が、神妙な面持ちで部屋のドアを開けた。祖父がかなり危ない状態にあるという。いよいよ、覚悟を決めなければいけないらしい。

 

奇しくもこの日は、姉夫婦が秋田にやってくることになっていた。姉も帰路の途中で、祖父の容体については聞いていたようだ。家族一同が家に会するや否や、*1五城目町にある病院へと直行する。元旦の高速道路は、あまりにも空いていた。我々は、まるで病院に吸い込まれるかのように到着した。祖父の病室へと急ぐ。廊下で、付き添っている祖母と叔父が出迎えてくれた。部屋を開けるとそこには、夏に会った時よりもはるかに痩せ細った祖父の姿があった。カラダのあちらこちらに管がつながれ、口には酸素マスクがつけられている。呼吸は荒く、痰がからみゴロゴロという音が聞こえた。

 

「おじいちゃん、来たよ」
と呼びかけると、
「あぁ」
とだけ返事をしてくれた。意識はまだ、はっきりとしている。ただ、話すことはままならない。何か話そうとはしているものの、気管から肺に蓄積している痰がそれを拒んでいた。その姿を見て、私は急に涙が止まらなくなった。祖父はまだ生きているというのに、こんな態度をとってしまったら失礼だ。けれども、涙は止まらなかった。
「とさん、あなたの孫たちが来ましたよ。なにか喋べってみでけれ」
と祖母が言った。祖母は相変わらず腰が曲がっていたが、夏に会った時よりも凛としていた。依然として、祖父の反応はうん、とだけであった。
「あやぁ、感動してなにも話せねなぁ、とさん」
右目しか見えない祖父の目は、しっかりとこちらの方を見ている。その目だけでも、何が言いたいのか十分に伝わってくるのだった——。

 

姉のお腹には、9ヶ月になる赤ちゃんがいた。祖父の手を、姉のお腹にやり、さすってもらう。
「4月に子どもが生まれるから、それまで頑張らねば。ひいおじいちゃんになるんだや」
母がそう言うと、祖父は少しだけ、笑い声をあげたのが分かった。時折、振り絞るようにして何かを言おうとしている。
「足が、だるい」
そう訴えてくる度に、足をさすってやった。腎機能が低下し、排せつが思うようにいかない足は、既に骨と皮だけになっているはずなのに、むくんでいた。さすってやると幾分楽になるようであったが、しばらくすると再びだるさが襲ってくるようで、その姿はとても苦しそうだった。

 

帰り際、
「明日来るからね。またね」
と、いつもお別れするときのように声をかけると、しっかりと反応してくれた。まだ、大丈夫だ、そう思った。病室の窓からみえる*2森山は、雪でぼんやりと浮かび上がっていた。

 

1月2日

祖父の容体が良くないということで、この日は早朝から、五城目町の東に位置する病院へと向かった。祖父は昨日よりも衰弱していた。肩で息をし、呼びかけにはすでに応答をしなくなっていた。昨夜から鎮痛剤を投与し、痛みを和らげながら昏睡状態に近い状態にあるという。最後の力を振り絞って、呼吸をしているようだった。しかしながらまだ、はっきり生きている。その容体が安定していくことを願いながら、病院を後にした。

 

祖父の家に到着するや否や、父と母、叔父が今後のことについて、別室で話し始めた。しばらくして、お昼時になってきたので、姉夫婦は昼食の買い出しに行ってくれた。リビングルームには、私と祖母だけが残った。祖母は堰を切ったように、自身の半生の苦労話を話し始めてくれた。今までに聞いたことのない話ばかりであった。

 

その容体が急変したのは、買ってきた昼食に手をかけようとした瞬間であった。祖父の心臓が動いていない、という一報が病院から来たのである。すぐさま、病院へ直行する。一同、ある程度の覚悟は決めていた。病室に着くと、先ほどのスーッスーッーという激しい呼吸からは一転、室内はとても静かだった。
「とさん、とさん、なして先に逝ってしまうの、とさん!」
祖母は、ベッドの柵に寄りかかって懸命に叫んでいた。不思議とその姿は若くみえた。結婚して間もない頃の青々しさが重なったようにみえたのだ。母と叔父さんも叫んでいる。その瞬間というのは、叔父さんでも母でもなく、ただただ祖父の息子であり娘なのであった。けれどもそんな呼びかけにも、祖父からの返事はなかった。体は既に限界を迎えていた。私も叫んだ。しかしながら、すぐに言葉が詰まって、それ以上、何も言うことができなくなってしまった。

 

祖母が、
「あなたと一緒にいられて、幸せでした。幸せな夫婦だったなぁ」
と言ったときである。一瞬だけ、うんという声がした。まさに最後の最後、力を振り絞り切ったような声だった——。皆でベッドの周りを囲み、その最期を見届けた。窓の外の森山は、陽の光を浴びて、とても鮮やかに見えた。

  

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*1:秋田県西部、旧八郎潟の東にある町。秋田市の北に位置する。500年の歴史を持つ朝市があり、現在でも月に12回開かれ、山菜、きのこ、鮮魚が取引される。清酒、刃物を特産。秋田の杜氏で結成したNEXT5の一つである福禄寿酒造の「一白水成」は全国的にも有名。

*2:五城目町にある山で、町のシンボルとして親しまれている。付近一帯は、スズムシ群生北限として、県の天然記念物に指定されている。標高325メートル。