三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

キャンドルと一筋の煙

寝る前は決まって、本を読む。間接照明のオレンジ色の灯りの下、白地に印刷された浮かび上がってくる一文字一文字に集中する。次第に視界がぼんやりとし始め、いけない、いけないと言って灯りを消す。それが就寝前の私の日課になっていた——。

 

とある日、家電量販店に行くことがあった。郊外に構えた、外資系のとても大きな建物だった。中は博物館のように順路になっていて、商品はどれも人の目を最も惹く適切な位置に配置されていた。あるものはモデルルームの一部を形成し、またあるものは色や形がきっちりと並べられ、本来の用途や見かけとは相反する美しさを放っていた。

 

照明がずらりと並んだコーナーに差し掛かった。机の上に設置するタイプのものから、天井に付けるタイプのもの、さらには人の声で反応するスピーカーが内蔵されたものまで様々だった。ふと、いつも使っている間接照明はスイッチの反応がだいぶ悪く、机が少し振動しただけでチカチカと光が途切れ途切れになってきていたのを思い出した。この機会にちょうどいいと思い、どの照明を買おうか逡巡していると、奥の方にキャンドルのコーナーがあるのが目に入った。

 

キャンドルは、一人暮らしの生活をしている自分にとって無縁の存在だった。あるいはそうではなくても、電気が不便なく供給される世の中においてはもはや、必ずしも必要なものではなくなっていた。しかしながら、自分の足は何かに導かれるように、その原初的な灯りを放ってくれるものの方へと向かっていた。香りが付いているものを1セットと、少し大きめのキャンドル、そしてそれらを置くための台を購入した。

 

その日の就寝前は間接照明の代わりに、キャンドルに火を灯してみた。アロマキャンドルと、少し大きめものの両方に火を着けた。その他の灯りは全て消した。暗闇の中にオレンジ色の揺らめきだけがぼんやりと光を放っている。火の周りにはオレンジ色の輪が出来上がっていて、それは自分の呼気によって大きさが微妙に変化する。本を取り出し、いつものように読書をしてみる。思いの外の明るさは、そのすぐ横にある間接照明の存在を忘れさせるほどであった。ふっと息を吹きかけてみると、瞬く間に火は消え、芯からは細々とした一筋の煙があがった。その匂いが鼻に入った瞬間、思いがけず私は郷愁に駆られた——。

 

まだ、私が幼い頃の誕生日、家族みんなでテーブルを囲み、その真ん中にはホールケーキが置かれている。いつもは残業の父がその日は、夕暮れ時シュークリームを手に持って帰宅する。母は「もう、ケーキもあるのにね」と言いながら、それをケーキの横に並べる。ケーキにロウソクを差し、火を着け電気を消す。すると家族の姿は、オレンジ色の揺らめきに照らされた。それから間も無く、全員で恥ずかしげに「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」の歌を歌い、私はふっと息を吹きかけるのだった——。

 

大人になった私の周りには、本とCDが無造作に重ねられているばかりで、ケーキはどこにもなかった。家族は皆、実家を出て離れ離れになり、私は仕事の都合で帰郷するのもままならない。けれども、火を消した瞬間だけは、間違いなくあの時の甘美な幸福を、家族の笑顔を鮮明に思い出すことができた。私にとって消えた瞬間のキャンドルの匂いはあの頃の郷愁だった。それ以来である、私が寝る前に間接照明の代わりにキャンドルを着けるようになったのは。

 

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