世の中の、ありとあらゆるものにはイメージが付きまとう。
たとえばCM。ビールのCMに出ている俳優が、グイっとビールを飲みつつ、
「これ、美味いねぇ。やっぱり◯◯(商品名)でしょ!」
と言うものがあったとする。ビアガーデンか何かの屋外で、同僚がいて、乾杯の瞬間に黄金色の液体と泡が雅に踊ればなおよろしい。あるいは、化粧品のCMに出ている女優が商品を手に取り、確信めいた表情と声色で、
「化粧下地は、これ一本」
などと言うものがあった場合。背景は赤、照明はバッチリ。次の瞬間、艶やかでシルキーな布のようなものがふわふわ舞い、テロップと商品のカットで優雅に締めくくられる——。
その俳優が実は下戸で、そんなことを思っていなくても、あるいはその女優が本当にその商品を使っていなくても、少なくとも画面上ではそれを潜め、"演技"をしている。無論、彼らに悪気があるわけではない。彼らはそれを演じることで、お金を貰い、家族がいれば家族を養うのだ。
さて、消費者である私たちは、そんな"演技"に魅せられて、何らかの感情の変化を起こしてしまう。六畳一間、ヤニで変色した畳に座り、カップ麺をすすりながらバラエティー番組を観ている男性。その合間、流れてきたビールのCMを観て、
「このビール、うまそうだな、今度買ってみようかな——」
そして、あるところには仕事帰り、束の間のリラックスタイムを過ごしている女性が一人、録画していたドラマを観ている。CM中、彼女が憧れている女優が画面に映し出された。
「ま、まさかね、この私がこんな風には——」
と思いながら、作り置きのおかずに手を伸ばす。それから何日か経って、百貨店で買い物をしてきた女性の手には、あのときのCMの化粧品の袋が——。と、筆者が突発的に想像したステレオタイプすぎる二人に登場してもらったが、こうしたものの集積によって、ある商品に対するイメージは出来上がっていく。
そのため、一たびその俳優や女優に何らかのスキャンダラスな出来事があったときは大変である。もれなく、CMを降りてもらわなければならない。そして、被害を被った企業側は口をそろえ、
「当社のイメージを損なってしまうため、云々かんぬん......」
と、イメージ論を展開していく。そして嘆く、
「へ、弊社は、あ、あなたが、誠実で、世間のイメージも、ひいてはお子様からの支持も高いと思っていたのに...... まさかこんなことをするなんて...... 思ってもいませんでした——」
爽やか、好印象でやっている俳優、女優、タレントはなにぶん大変である。プロ野球選手などという圧倒的な才能を持つ人間ならまだしも、言い方は悪くなってしまうが、それ一本でやっているような人である。仕事が激減することはもちろん、崩れ去った信頼を回復させるべく、信頼のブロックを積み上げていかなくてはならない。それは、古代エジプトの奴隷がピラミッドのブロックを積み上げていったような、途方もない作業であることは言わずもがなである。
ただ、そんな彼らがかつて築き上げた、立派な"信頼のピラミッド"の持つ力(ピラミッドパワー)には計り知れないものがあった。なにせそれ一本でやっているような人もいるのだから、その道のプロといってもいいだろう。実に豪華絢爛な外観で、そのピラミッドの頂上に立てば、たちまち企業は短絡的かつスピーディーに、"好印象"という、大きな恩恵を受けられた。
「いやはや、なんと高い好感度なんだ。やっぱり上から眺める景色は一味も二味も違いますなぁ」
ただし、それが崩壊した暁にはデメリットも大きい。週刊誌記者という墓泥坊は、こそこそとピラミッドの内部を探索し、その真相を探ろうとする。やがて、そこにはお宝や王様の墓すらなく、代わりには骨組みが張り巡らされた、スカスカのハリボテだったことがばれてしまう。そして、ええい!とスクープ記事というダイナマイトをぶっ放した瞬間、そのピラミッドは脆くも崩れ去り、ピラミッドのてっぺんで安泰、安泰、とこぼしていた企業は、たちまち奈落の底に突き落とされるのだ。
このイメージの落差は、たとえばその商品がいくら誠実な職人の手によって、丁寧に丁寧に、丹精込めて作られていても関係ない。それを宣伝していた俳優の誠実さが失われてしまえば、すべてが水の泡。商品の方も連鎖的に
「うーん、あまりよろしくないなぁ」
と思われてしまうのが世の常なのだ。これは、その逆もしかりで、企業側に何らかの不祥事が発覚した場合、それを宣伝していた女優、俳優に風評被害が行ってしまうケースもある。
これは10年くらい前だったか、某有名な宝塚女優が、少し勿体ぶって、けれどもしとやかに、
「あきらめないで」
というフレーズをやたらと連呼していた時代があった。無論、CMでの話である。あのなんとも凛とした佇まいの、これぞ大人の女性の理想像、上司像みたいな人からそんなこと言われたら、
「うん、あきらめないわ、私」
となってしまうのではないだろうか。某女優が宣伝していた商品は、お茶由来の洗顔石鹸であったが、それはたちまちブームとなり、全国の主婦層を中心に飲み込んでいった。お笑い芸人もこぞって真似をし、当時小学生だった筆者も憑りつかれたかのように真似した。会社のイメージも上々、そんな最中、商品を使用してアレルギー反応が出たということが問題になった。あきらめないで使い続けたら、アレルギーになってしまったという、現代落語もびっくりな超展開が待っていた。メディアは一斉に問題を取り上げ、たちまちCMは打ち切りになった。
あの女優は今——。彼女は今でもバリバリに活動していると見受けられるが、時たま、あの決めセリフのようにCMで発言をされると、例の洗顔石鹸のCMがちらついてしまう。
イメージは、ときに何にも勝る武器となり、ときに大きな弊害となる——。
これは、ドイツの経済学者アルベルト...... ではなく、筆者がアホ面をしながら思いついた戯言であるが、まさにこれに尽きる。そしてこれは、音楽、ひいてはバンドにも言えることだろう——。もともとイメージの話から、音楽についてつなげようと思って書いたこの記事。なぜか、CMだとかピラミッドだとか、お茶石鹸の話になり、流れにまかせていたら、このような茶番になってしまった。そんなわけで、音楽の記事はまた今度ということで、さよなら、さよなら、さよなら……。