三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

青年の老年期—エレカシ全作レビューXVII『町を見下ろす丘』

"四〇歳は青年の老年期であり、五〇歳は老年の青年期である"

 

詩人であり『レ・ミゼラブル』などの著書で知られる、ヴィクトル・ユーゴーはこんな言葉を遺している。40代と50代を大きな境目に前者を青年の終わり、つまり老年期に。そして後者を老年の始まり、それを青年期である、と。この言葉を、エレファントカシマシに当てはめてみると、驚くほどこの言葉が体現されていることがわかる。

 

メンバー全員が50代に差し掛かった2018年リリースの「Easy Go」で見せた熱量はまさに、"50代が作る、若さ溢れる楽曲"であった。50代と若さ、一見すると"矛盾"のような文言を辻褄合わせしているのは、楽曲に存在する進んでゆく老化に真っ向から挑む姿勢だ。宮本の病気を経てからの転換作ともいえる「RAINBOW」(2015)では、"老いて死んでゆく存在"であることを受け入れた結果、爆発的な力が生み出された。それを受けての「Easy Go」では、そのさらに上を行く音域で、これでもかという位に詰め込んで歌われていた。そうすることで自分自身を奮い立たせ、老いを受け入れるというよりは、真っ新な気持ちになって真っ向から老いと勝負をする——それが、結果として50代の作る楽曲に"瑞々しさ"と"若さ"をもたらしていた。

 


エレファントカシマシ  - RAINBOW

 


エレファントカシマシ - Easy Go

 

そんな40代の後半から50代にかけてリリースされた作品と、2006年リリースの『町を見下ろす丘』を比べてみると、青さは微塵も感じられず、老成さえしている。この時宮本、40歳。まさに"青年の老年期"であった。ただそれは、この作品がリリースされた当初には無かった視点であるともいえるかもしれない。もしも宮本が2012年、突発性難聴という病に伏していなかったら。『RAINBOW』や『Easy Go』のような曲が生まれることはなかったはずだ。むしろ10年後の今、この作品が相対的に青さを纏っていたのかもしれない。

 

さて、先ほどから老成、老成と幾度となく書いているが、この"老成"を形成するものは何か。この言葉を辞書で引くと、

①年のわりにおとなびること
②経験を積んで、巧みになること。老熟。老練 

とある。無駄な力が抜けたバンドサウンドは、どうやら後者の意味に相応しいといえよう。宮本の歌声は決して前に出ることなく、バンドサウンドの一部としてきっちりとその役割を果たしている。また、ここは歌、ここはドラム、ここはギター、ベースといったように、それぞれの楽器の聴かせどころのバランスも丁度良い。そんな一音一音のたたずまいは至って静か。けれども、内部から沸々と燃えたぎるような熱さがある。いうならば、青い炎のようだ。表面上は寒色のぼんやりした青なのに、近づいてみるととんでもなく熱かったという感じだ。静かに燃えるようなサウンドは、メッセージをより切実なものとして際立たせる。そこには40代に差し掛かった人間の、焦燥感や疲弊感、そこから脱しようという、無理矢理感のようなものが滲み出ていた。

 

作品序盤、「甘き絶望」からは減退だとか鬱屈だとか、そういう類の言葉が直感的に連想されてくる。中でもこの一文は特に強烈だ。〈日めくりカレンダーに印付けたのは 命の灯を燃え立たせるため〉過ぎ去ってゆく一日という見えないものと対峙するために、カレンダーに印を付けるという行動で可視化を試みる。続く、〈電話のベルに驚かされて ふと目を上げた〉という部分も、後ろめたい単語は一切使っていないにもかかわらず、やるせなさという概念的なものが事物(電話のベル)によって露わになる。そんな詞とは裏腹に、バンドサウンドとその中核をなす歌声は渾然一体となり、聴くものに高揚感をもたらす。特に、Aメロからサビに差し掛かる直前、迫り上がる様相を持ったギターはまさにその最高潮を演出する。そこにギャップを感じた瞬間、どこか"無理をしているような感覚"が生じるのであった。

 

中盤に差し掛かった作品から流れてくるのは「シグナル」。陽の落ちてきた都会の喧騒から身を置くひと時、一人の男が丘の上から見下ろしている様子が、瞬く間に想起される。それは高度経済成長期の頃、山を切り開いて作られた団地の風景だ。音の一つ一つ、そして歌声の一節一節が、夕暮れの町の輪郭を形成していく。曲が進むにつれてベンチに一人腰掛けた男は、〈どのみち俺は... 道半ばで命燃やし尽くす〉と漏らす。そう、ふと漏らしてしまうような言葉にもかかわらず、歌声であるとかバンドサウンドの熱量は反比例をするかのように一気に帯びる。ここでもある種のギャップを見出せる。道半ばで命を燃やし尽くす——その諦め切ったメッセージと、奮い立たせるような力強さを持ったサウンド。それらが互いにぶつかり合うすることで、人生の焦りやセンチメンタリズムへ変貌を遂げるのだ。

 

この作品を貫く、ダウナーな感情を振り切るためにもがく様は「今をかきならせ」で頂点に達する。〈胸をかき鳴らすのは遠い日の思い出〉、先を見るのではなく、これまでの人生の経験を振り返ることでより充実したものにしようとする。そして、〈夢も希望もいらねえよ あるだけ全部で〉と、ここでもやはり今ある現状でなんとかしようというさっぱりとした気概が感じられる。これは、経験の積み重なった40代ならではの境地であるといっていいのかもしれない。

 

今を充足させようという眼差しは、終盤の「雨の日に…」にもつながってゆく。冒頭、ブルージーな単音のギターリフが鳴らされ、楽曲はゆるやかに走り始める。その温度感に合わせてポツリ、ポツリと呟くような歌声は、曲の展望が開けていくにつれ、温かさを帯びてくる。〈若き日の憧れ一つ一つを 捨て去りゆく歴史それが人生だった〉、これまでの人生で培ってきたもので今を充足させようとするだけではなく、今度はその中にある憧れを捨てていく。雨は町に、心にしとしと降りしきり、心象風景を鮮やかに描き出す。バスが目的地に向かって行ったり来たりする。これもまた、人生を暗示しているかのような、風景と感情が見事にぴったりと一致を果たしているのだった。

 

この作品からは、今を力強く生きたい、という切実なメッセージが叫ばれる。時には過去を顧み、また時にはかつて思い描いた憧れを"捨て去り"ながら。そして呟きのような言葉の連なりは、宮本の叫びやバンドサウンドの熱量によって振り絞るようにもがくような悲痛さとして聴き手に訴えかけてくる。メッセージと、サウンドを構成するものとのギャップの存在。ただ、サウンドと心象風景の距離感に関しては非常に近い。音から風景へ、音から心の情景へと直感的に接続させる。丘の上から町を見下ろす風景や、夕暮れに照らされたビルや駅のホームの情景が広がったと思えば、視点が一人称かつミクロなものとなったりと、それらが組み合わさることで、現実味を帯びた"実感"へと昇華されるのだ。40歳、青年の老年期のリアリティーがそこにはあった。

 

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Track List

01. 地元のダンナ
02. 理想の朝
03. 甘き絶望
04. すまねえ魂
05. シグナル
06. 今をかきならせ
07. 人生の午後に
08. 雨の日に・・・
09. 流れ星のやうな人生
10. I don't know たゆまずに
11. なぜだか、俺は祈ってゐた。