三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

THE ELEPHANT KASHIMASHI live BEST BOUT 2019――今年ライブで印象的だった楽曲 (前編)

2019年、エレファントカシマシが行った単独ライブは、1月の〈新春ライブ2019日本武道館〉と、7月の日比谷野外大音楽堂でのライブのみ。こんな年もなかなか珍しいと思うが、数が少ない分、密度のほうは例年以上に高かったように思えた。そんな今年の彼らのライブで印象的だった楽曲を、筆者の独断で何曲か選んでみた。今回は、日比谷野音編。どうか、適当に付き合っていただければ幸いである。

 

1.「こうして部屋で寝転んでると、まるで死ぬのを待ってるみたい」

この楽曲は2008年にリリースされた『STARTING OVER』に収録されている。本作は、「俺たちの明日」や「笑顔の未来へ」、「リッスントゥザミュージック」など、大衆に間口を広げた聴きやすいアレンジで、2000年代、ユニバーサルミュージックに移籍以降のエレファントカシマシの復活を印象づけたものとなっているが、その中でも異質だったのがこの曲だった。陰鬱で、後ろめたさを感じる歌詞や、宮本の淡々とした歌いっぷりには、死の匂いさえ漂う。

今回の野音は30回目ということで、初期の楽曲から滅多に演奏しないカップリング/アルバム曲、そして近年の楽曲へと繋がっていく例年の構成とは異なり、ポニーキャニオン期(1996-1998)やユニバーサルミュージック期(2006-2018)の楽曲が中心に演奏された。その大衆的な作品の中に隠れていた、とんでもなくダウナーな一曲。まさに重箱の隅をつつくような、選曲だったといえるだろう。

もちろん演奏の方もすばらしかった。特に、アウトロのアレンジは圧巻。硬質で冷たいサウンドのリード・ギターのリフレインにビッグマフ特有の潰れた歪みがぶつかり合い、そこに宮本のファルセットとシャウトが交互に乗せられていく。その様子はまるで、『RAINBOW』(2015)以降の"静"と"動"が浮き彫りになっているかのようだった。今年リリースされた新曲、といってもいいくらいの現在進行形なアレンジが最高だったバウトだ。

 

2.「悲しみの果て」

この日は30回目ということで、かつて彼らの作品に携わったメンバーが集結した。その中でも、サポートに土方隆行氏を迎えたこの「悲しみの果て」はすばらしかった。彼はエレカシの再出発作『ココロに花を』(1996)のプロデューサー/ギタリストとして、その復活に花を添えたバンドの師のような人物。土方は、音源でリードギターを担当しているが、まさにその音源がライブとしてそのまま演奏されているような錯覚に陥った。

というのも通常バンドは、そのバンドのメンバーが録音した音源を、ライブでも同じメンバーが演奏することが多い。例によって彼らも、大半の作品がそうであるが、この曲と「今宵の月のように」、そして「四月の風」などは、土方がギターを担当している。つまり、いつも聴き馴染みのある"音源"の方は、意外にも純粋なオリジナルのメンバーの音ではないのだ。そのため、リードギターの石森や、サポートのヒラマミキオが奏でるライブと音源を比較すれば、かなり異なっているアレンジであることがわかる。

今回は、間奏部分のギターソロは通常のフレーズに加えて、土方のエモーショナルな演奏が追加された。そして〈部屋を飾ろう コーヒーを飲もう 花を飾ってくれよ〉の部分では、音源のようにQueenの重ね録りのようなギターが乗せられる。するとたちまち、初めてこの曲で心を揺り動かされた時のような、全身が湧き上がるような感覚に襲われた。"音源の再現"というのは、ライブという空間においては時に退屈にもなりかねないが、「悲しみの果て」はむしろ曲の持つ力が増幅されたように聴こえた。

 

3.「かけだす男」

かけだす 俺の向こうには
雨が降りだして
ずぶぬれのまま かけぬけた
ずぶぬれのままで

楽曲の冒頭部分、雨でずぶ濡れになりながら走る男の様子が描写される。この部分には主体となる人物が明記されていない。いきなり、"かけだす"としていることで、聴き手側が"俺"の視点になり、続く"ずぶぬれ"以降の描写によって、あたかも雨の中を自分自身が走っているような、情景を誘導させるのだ。

この曲は、新春武道館のときにも披露された。そのときは、光の線が雨のようにステージに降り注いでいたが、2日目の日比谷野外音楽堂のステージには本物の雨が降りしきっていた。環境と音楽との融合。それは、エレファントカシマシと日比谷野音を語るうえでは切っても切り離せない視点である。先に書いたようにこの楽曲は、その歌詞の構造から、聴き手が曲の世界に没入しやすいものになっている。そこに、本物の雨が降ってくる。まるで、4DXの映画のように、五感をフルに使って体感するような感覚があった。

それを届ける宮本の歌声も秀逸。雨音によって、演奏の音が幾分やりしているのにもかかわらず、宮本の歌声だけは、それを味方につけるかのように雨粒に溶けて、そのまま降り注いできた。その瞬間は、"あいにくの雨"なんかではなく"心地のよい雨"なのであった。

 

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