自分の身の回りには、革製品がいたるところにある。これまでも身近に使ってきたが、一番記憶に古いのは、ランドセル、そして野球のグローブ。最近だと、靴だとか、財布、あとはベルトなんかも"いつの間にか"革になっている。革製品のいいところは何といっても長持ちするところだ。"いつの間にか"と書いたのは、合成の繊維や革の製品はあっという間に壊れてしまって、結果的に革製品が残るということである。一回買って、しっかりと手入れをしていれば壊れることはまずない。
そして、時間がたてばたつほど愛着がわいてくる。なんというかそれは、育てるような感覚に近い。そんなわけで暇があれば、財布やベルトに保湿クリームを塗り、もっと暇があれば使いもしないグローブにもグラブオイルを塗って、手入れをしてしまう。さかのぼってみれば、そうした革製品というのはかつて、動物の一部だったのである。そう言ってしまうと、途端に生々しくなってしまうが、やはりこの"生々しさ"こそが人間を魅了するのかもしれない。漢字の語源でも、動物の表面を覆っている"皮"、それをはいでなめし、ぴんとさせた状態になった瞬間に、"革"に変わる。"生き物"から、"材料"へと変わるのである。その加工の過程には様々な工程があって、そこから職人を経て革製品に仕立て上げられる。
かつて、刺青を入れていた人間の皮を標本としてコレクションをしている福士政一という医学博士がいた。真皮の部分に染料を入れることから一生落ちないといわれている刺青。はじめは、その医学的な関心から収集を始めたが、次第に文化的な保存へと変わっていった福士。標本の中には縫い合わせて人の形に成形したものもある。こうなるともはや、人間のはく製である……。
少し脱線してしまったが、入れ墨というのは皮をなめす過程において、生前以上の鮮やかさを見せるという。そんな標本の写真を見てみると、きらびやかな模様の動物の鞣革を見ているような感覚になるのだった。無論、刺青の標本は革製品ではないが、革製品も同様、丁寧に加工され扱われさえすれば、生きているころにはなかった色合いや、輝きを見せてくれる。なんというかその姿は、魂を離れ新しい姿へと生まれ変わるかのようである。やや大きく言い過ぎではあるが、これこそが革製品の魅力の一つであるのかもしれない。
参考:刺青の人体標本 【改訂版】