三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

"読み聞かせ"をされているような安心感―七尾旅人の『Stray Dogs』レビュー (ディレクターズカット版)

デビュー20周年という節目にリリースされた、七尾旅人の『Stlay Dogs』。全体を通じて、川のせせらぎのように心地の良いメロウなサウンドは、自然と作品の世界に没頭させてくれる。そんな今作をすべて聴き終わった後に湧き上がってきた多幸感、それは―。子どもの頃、寝る前に、本棚から好きな絵本を渡して、親に読み聞かせをしてもらったときのあの感覚に似ていた。読み聞かせというのは、自分から能動的に文字を読む行為だけでなく、耳からも受動的に親の声が入ってくる。それは読書を臨場感のあるものにさせ、さらには安心感をもたらすのだった―。

 

七尾が創り出した12のストーリーが並べられた本棚。その本棚の中には、「Across Africa」や「崖の家」のように津々浦々、いろいろな国を旅するようなもの。また、「スロウ・スロウ・トレイン」のように〈湘南新宿ライン〉という、具体的な固有名詞が登場するリリックを使ったものもあれば、「Confused baby」のように、主語を明示しない、ぼんやりとしたロマンティシズムを感じさせるものまで様々だ。ただ、そのストーリーはどれを選んでみても、意味のつなぎ目が非常にあいまいになっている。投げかけられた言葉は宙に浮いたまま、さらに次のシーンへと移り変わってゆく。「DAVID BOWIE ON THE MOON」では、“デヴィッド・ボウイ”の死と、“現実の世界”の間を、“さまよう”ように往来しているとでも言えようか。そのためストーリーに登場する2人称は、具体的にだれを指すのか、その文脈からは容易に“断定”することはできない。

 

―いや、そもそもそんなことを“断定”しなくたっていいのかもしれない。何も考えず、ひとまず彼の音楽に身をゆだねてみる。するとどうだろう、ストーリーの行間には、今まで自分が経験した中で思い描くイメージが連想され、たちまちその行間が埋められてゆく。そして、琴線に触れ、余情を残した彼の歌声は、寝室で親の読み聞かせの声を聴きながら、夢うつつになっているときような多幸感をも駆り立たせてくるのだった。

 

彼の音楽は、リスナーに自身の生きざまの追体験や、共感を要求させることはない。その代わり、聴いている人それぞれにストーリーを想像させ、その人のストーリーに仕立て上げることに徹底している。そんな絵本を読んでいるときのような抽象感が収められた『Stray Dog』。社会に疲弊した大人にとっては、子どもの頃のノスタルジアを感じさせるような癒しを、純真無垢な子どもにとっては、わくわくする衝動を掻き立たせてくれるような作品だ。

 

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