三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

エレカシの再レコーディングアルバムについて

 再レコーディングアルバムと言えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが2016年に『ソルファ』(2005)を再レコーディングした『ソルファ(2016)』が上がるだろうか。エレカシは、そのキャリアにおいてこれまで22枚のオリジナルアルバムを出しているが、再レコーディングされた曲は「風に吹かれて」のNew Recording Versionのみ。しかもこのバージョンはシングル「笑顔の未来」のカップリング曲でアルバムにすら収録されていない。そこで、もしもアジカンのようにエレカシが再レコーディングするとしたら、『生活』(1990)を是非とも再レコーディングしてほしい。

 『生活』はエレカシの4thアルバムで、収録曲は7曲。彼らのリリースしたほかのアルバムと比べてみても少ない(エレカシのアルバムの曲数は普通11~13曲)。でもこのアルバムは一曲一曲が長い。5曲目の「遁生」にいたっては12分を超えている。そんな訳でまるでフルアルバムのような収録時間となっている。なんだか70年代のプログレッシブロックのバンドのアルバムみたいだ。

 このアルバムは若さ溢れるパンクな感じで、フラストレーションのようなものは爆発し続けている。でもその爆発源は、陰鬱な狂気な感じで満ち溢れている。アルバムを全部聞き終わると、何とも言えないずっしりとした疲労感がある。爽快感なんかは微塵もない。なんでも、倦怠感を漂わせる男が家に引きこもって、世俗との隔離を試みるような様が延々と歌われているんだから無理もない。

〈太陽照りし真昼には
俺にくるえや働けや
強き光もて俺をあざ笑う
人の働く真昼には
俺は家にて寝て暮らしている〉(『月の夜』より)

〈これから先は死ぬるまで
表出ないでくらす人。
たまに表へ出るときも
タバコと散歩に日をつぶす
働く妻の横顔に力の抜けた目を向ける
鳴るのはテレビの音ばかり…。〉(『遁生』より)

 少なくとも"健康"なアルバムではない。演奏は演奏で"下手くそ"なギターの音(不思議にもリードギターの石森の音ではなく宮本が前面に出ている。それともこれは意図的なのか…)とボーカルの叫び声しか聴こえてこない。それがアルバムの"不健康さ"に拍車をかける。落ち込んでいるときにこのアルバムを聴いた暁には、曲の世界観に引き込まれ"廃人"のようになってしまいそうな程だ。

 ただ、そんな宮本の絶唱と爆音のギターに埋もればちな"メロディー"は他のアルバムと比べても劣るどころか群を抜いて美しいものがある。メロディーがダイヤモンドだとすれば、それは母岩に埋もれてしまっていて輝きはまだ見ることはできないが、そこに確かにあるというような感じだ。初期と現在のエレカシは曲調は違えど異なっているものではない。確かに路線変更を行い、"変化"はしたがダイヤモンドは別物になったわけではなくあくまでも同じものである。時を経て母岩から発掘され、磨かれることで輝きを増し洗練されている。それが異なっているように見えているにすぎないのだ。

 そんな輝きの増した今現在の状態で当時の『生活』を再レコーディングしてみてほしい。きっと原石の時とは違った新たな輝きを見せてくれるはずだ。そしてそれは1990年、当時24の彼らが作った『生活』を凌駕するとんでもない作品になるかもしれない。

 下の動画は2015年の日比谷野音のライブで演奏された「月の夜」。これはあまりにも名演であった。これを聴くと、この曲含めて他の『生活』の曲も音源化して欲しいと思ってしまう。それくらいに美しさが増しているのだ。【ほぼ日刊三浦レコード25】

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