どこにでもあるようなありきたりの音楽は、ありきたりの評価のまま終わり、しまいには世間から忘れ去られてしまう。クリープハイプの音楽がそうでないとすれば、ありきたりではない、特別感のようなものは何だろう―。
「百八円の恋」はキャリア通算4枚目の『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』に収録されている。この曲は"痛い"と"居たい"の歌詞が何度も繰り返される。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい
字面だけ追ってみるとなんだかゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。すごくヒステリック。曲に登場する女性の精神状態はどうやら"健康"ではなさそうだ。自分は彼らの音楽のこういう"病んだ"ような部分だけを見て今まで勝手に敬遠していたような気がする。で、いざ曲を聴いてみると、尾崎の声と詞に埋もれがちだが、リフとメロディがほんとにかっこいい。やっぱり"聴かず嫌い"はよくない。
「百八円の恋」はそんな"ヒステリック感"が惜しげもなく開放された楽曲のはずなのに、聴き終わればすっきりとした感覚になる。後味の悪さなんてのはない。それは詞を支える曲が意外にも"攻撃的"で"エッジが利いている"からかもしれない。"すっきり"した感覚というのはいうなれば、爆発したあとの破片が一切残らずにどっかの異世界に吹き飛んでしまって、そこには何にもないまっさらな景色だけが残ったような感じだ。とてつもない名曲だと思う。
話は最初に戻るが、彼らの「特別感」というのは、"埋没的"で"破滅的"な世界観を、最終的にはハッピーエンドではないかもしれないけれど、"すっきり"と提示してくれるところではないだろうか。少なくともこの曲ではそんな気がする。「私彼らの歌詞にすごく共感できます!」そんな人は本当にすごいと思う。
余談であるが、今年3月にリリースされるエレファントカシマシのトリビュートアルバムでクリープハイプは「さよならパーティ」をカバーしたらしい。彼らはバンドが苦しいときに『STARTING OVER』をよく聴いていたらしい。この曲に関しては尾崎が歌っても中々いいんじゃないかと勝手に想像が膨らんでしまう。トリビュートアルバムで一番楽しみでもある。【ほぼ日刊三浦レコード21】