負けることの美しさ、それを一番感じたのは2006年のパシフィック・リーグのプレーオフ第2戦、日本ハムの本拠地札幌ドームで行われたソフトバンクと日本ハムの試合。
第1戦に負け、後がなくなったソフトバンクは当時の絶対的エース斉藤和巳をマウンドに送る。この日の斉藤は気迫が段違いだった。「なんとしても王監督を胴上げさせるのだ」という想いが彼にはあった。それを達成すべく8回まで完璧なピッチングを見せていた斉藤だったが迎えた9回裏、ここでほころびが見え始める。まず先頭の森本稀哲には1球もストライクを与えずにフォアボールを与えてしまう。次の田中賢介にはランナーの森本を確実に送られ、塁を埋めるために小笠原道大を敬遠し、1死1、2塁(1塁ランナー小笠原、2塁ランナー森本)。その後セギノールを三振に切ってとるも、一打サヨナラの場面の情況は変わらず、打席には稲葉篤弘を迎える。斉藤が稲葉に投じた2球目、ここで劇的なドラマが起こった―。
斉藤が低めに投じた142kmのフォークに稲葉は何とか食いつきセンター方向に打ち返す。その打球は斉藤の足元をすり抜け、センターに抜けようかというところをセカンドの仲澤忠厚が土壇場でキャッチし、2塁ベース上で構える川崎宗則にトスをする。しかしながらそのトスは僅かに逸れ、川崎の足は無情にもベースから離れてしまう。その間3塁ベースを回っていた2塁ランナーの森本が生還する。日本ハムのサヨナラ勝ち。ベンチから日本ハムの選手たちが一斉に飛び出し1塁付近に集まる。場内にはテープがフェンスに垂れ下がり、祝福ムードに包まれる。斉藤はマウンドにひざまずき、うつむく。立ち上がることはできない。それはなんだか、ゲリラ豪雨みたいに他のところは晴れていて明るいのに、一部分だけ暗くて土砂降りになっているときの光景のように見えた。斉藤だけに雨が降っていた。もはや魂の抜けた斉藤は味方選手たちに抱えられながら去っていった―。
この試合、ソフトバンクが勝っていたらそれはそれでこの後面白い展開になったことは間違いない。けれども絶対的エースの斉藤が負ける、しかも大差ではなく1点差のサヨナラ負けという紙一重で負ける―。斉藤は全身全霊で立ち向かった結果、最後ボロボロになって崩れ落ちる―。その光景はなんだかすごく美しいなと。負けを望むわけではないけれど、この試合は負けた方が良かったとまで思ってしまう。自分はどうやら勝者の「完全性」じゃなくて敗者の「不完全性」の方に惹かれてしまうみたいだ。それはミロのヴィーナスに手がないからこそある美しさみたいなのと似ている。だからそんなことに魅力を感じてしまう自分にとって田中将大の2013年の24勝0敗なんていう成績は違和感がある。なんだかミロのヴィーナスに手があるような感じがしてしまうからだ。