三浦日記

音楽ライターの三浦智文が、日記のようにつらつらと書いていくブログ

ないものねだり / フジファブリック

『CHRONICLE』(2009)に収録されている曲。このアルバム発表後、7か月が経ってボーカルの志村正彦は帰らぬ人となってしまう。そのためこのアルバムが彼の遺作ということになってしまった。バンドでフロントマン的な存在が亡くなると、そのバンドのチャートは急上昇して、再評価されてしまうというのが世の常であるが、この作品から放たれる殺気や気迫のようなものは、そんなバックグラウンドを凌駕し、作品を一本立ちさせている。

 

「ないものねだり」はこのアルバムの中でも12を争うぐらいポップな曲だけど、そこはかとない虚しさがある。広辞苑を引いてみると、ないものねだりに関してはこう書いてある。「そこにないものを無理を言ってほしがること。実現が難しいことを承知で求めること」。無理だとわかっていても追い求めようとしてしまうのが人間の性。その結果残ってしまうのは空虚感だけであるといったところか―。

時代は変わっても 便利な機械でも
ちぐはぐに絡み合ったまま…
…季節が変わっても 何か変わっても
弱い生き物なのでしょう 

ここでは、何というか、人間の不変性みたいなことが言われていると思う。時間が経っても、季節が変わっても、あくまで人間の本質というのは何ら変化しないということである。しかしながら、ちぐはぐに絡み合い、弱い生き物たる人間というのもいずれ死に至ることで、結局は「無常」なものとなってしまう。「不変」とはいったものの、決して「常住」なものではないのだ。

 

小林秀雄は『無常という事』で、「生きている人間は一種の動物的状態である」と述べている。それは歴史には死んだ人しか現れず、動じない美しさがあるという、「常住」なものの対比として使われている。つまりこの動物的状態というのは、一言で言えば「無常」なのである(「一言で言えば」なんていうと小林に一喝されそうだが…)。人間は生きている限り、この動物的状態であり、ちぐはぐに絡み合ったり、自分を弱い生き物と思ったりしてしまう。だから、先に述べた、空虚感みたいなのも結局はこの「無常」という大きな領域の中で踊らされて出てくる感情に過ぎないのかもしれない。そういうわけで「ないものねだり」では、ちょっと大袈裟だけど「無常観」みたいなものが表現されているような気がする。

 

それにしても『CHRONICLE』は本当に名盤だ。というか「絶対に聴かなければいけない作品」のような気さえしてしまう。どの曲も志村正彦というアーティストの魂の削りっぷりが半端でないのだ。そういうわけで、このアルバムの中から1曲を選ぶことは本当に難しかった。で、悩みに悩んだ末に渾身の1曲を選んだはいいが、これがなかなかうまくまとまらない。このアルバムに関してはまだまだ聴き込まないとわからないことがたくさんある気がする…。【ほぼ日刊三浦レコード16】

 

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