松井秀喜は日本のプロ野球チームであるジャイアンツから、フリーエージェントでアメリカのメジャーリーグに移籍するのが決まったとき、その会見で、
「"個人的"な、メジャーに行ってプレーしたいという気持ちが、最後まで消えなかった。チーム、チームメイト、そしてファンに対して申し訳ないと思い、そうした自分のわがままには蓋をして考えないようにプレーしてきた。だからこの決断は本当に苦しかった。
残留を望んでいたファンの皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。向こうで"ジャイアンツ魂"を見せることがファンにとっての恩返しになると思う。」
というようなことを言っていた。メジャーリーグといえば、誰もが夢見るような晴れの舞台であり、そこに行けると決まった暁には意気揚々とした態度をとりたいのが普通であろう。しかしながら、彼のメジャー移籍会見はまるで不祥事を起こしたかのような神妙な面持ちで、一切の笑顔がなかった。それだけでない、自分の夢を押し殺してプレーをしてきたことを明かし、最後は申し訳ないという謝罪で締めくくっている。
一方、イチローはメジャーリーグで長年所属していたマリナーズを離れ、ヤンキースに移籍するときその会見で、
「11年半ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニフォームを脱ぐと想像したときは大変寂しく、この決断は大変難しかった。だが、環境を変え、刺激を求めたいという強い思いが芽生えてきた。ならば、出来るだけ早くチームを去ることが、チームにとっても僕にとっても良いことなのではと思った。
今回の決断を受け入れてくれたマリナーズ球団に大変感謝している。この11年半のマリナーズでの経験を誇りに思い、胸に秘め、前進していきたい。」
というような旨を言っていた。この会見からは、悩みぬいて決断したということは感じられるが、松井のような申し訳なさのようなニュアンスは感じられない。イチローはファンに対してむしろ感謝の意を述べている。
松井はなぜかねてからの自分の夢を実現できたのに、「申し訳ない」と謝罪しなければいけなかったのか。こうした日本のプロ野球の移籍事情における、本心を押し殺し、申し訳なさをただよわせるような風潮の存在には、やはり日本にある「世間」が関係しているように思える。プロ野球というのは、まずは「チーム」があり、その中には「選手」がいて、さらにはそれを応援する「ファン」の存在で構成されている。これはメジャーリーグでも変わらないが、プロ野球において、これらの3つの関係性というのはメジャーリーグと比べて非常に密なものとなっている。
プロ野球で「チーム」に所属するということは、スライムの入った瓶の中に新しいスライムが入れられるように、「個」がそのチームと一体化し、消滅することを意味する。そのためか松井は他のチームでプレーすることが決まってもなお"ジャイアンツ魂"を体現したいと言っていた。それだけチームに対する意識が強いのである。そしてそこには、チームと選手との密接性の強さがあるともいえる。他方、メジャーリーグではチームの中に「個」が内在している。それは、ミックスナッツの入った瓶に、新たなナッツが入るようなもので、それぞれは独立して存在し「個」の消滅はない。そのためメジャーリーグにおける移籍というのは「個」の移動にすぎないため、そういったバッシングはほとんどない。プロ野球だけやたらとファンからのバッシングがあるのは、チームから「個」が居なくなるのではなく、チーム「自体」のある部分が損失する感覚があるからあろう。プロ野球ではひとたび試合となれば、そのチームの「ファン」はそろいのユニフォームをまとい、応援歌を歌い、一丸となって選手に声援を送る。そこにはチームとファンとの密接性の強さ、選手とファンとの密接性の強さがある。こうした応援スタイルはメジャーリーグでは見られない。メジャーリーグでは個人の応援歌はなく、基本的には球場の盛り上がりに応じて拍手や声援が送られるのが一般的だ。さらに、素晴らしいプレーをした選手には国籍はもちろん、チームも関係なくスタンディングオベーションで祝福する。メジャーリーグでは「チーム」だけではなく選手という「個」も見ている。
こうしたプロ野球の「チーム」と「選手」、そして「ファン」との関係性には、内向性を持つ集団的秩序という日本の世間の特質が当てはまるように思える。松井の場合はジャイアンツという世間(ここではチーム、選手、ファンを合わせた共同体をさす)の相互監視的な目を気にしてしまい、そうした世間に属する松井は、世間から統制されているような感覚に陥った。そして、その領域では「個」というものは埋没してしまっている。あくまでもジャイアンツの一員なのである。会見では"個人的なわがまま"と言っていたが、本来であればFA権を行使することは違反ではないし、"個の自由"であるはずだ。それなのに松井は神妙な面持ちで、気持ちを押し殺したように(本心はわからないが)会見に臨んでいた。一方、アメリカを舞台にするメジャーリーグのチーム同士の移籍には、当然ながら日本のような「世間」の目は一切なかった。そのためイチローは会見において自分の気持ちを率直に表現することができた。松井が会見で申し訳ないと謝罪したのは日本特有の「世間」という何よりも強い圧力が存在していたからであるといえるのではないだろうか。